QQCCMMVVGGTT
160 ・日本史で、仏教伝来の影響で獣肉や乳製品を食べることが廃れたと習いましたが、同じく仏教の影響を受けてるはずの中国、朝鮮、琉球では肉を食べまくってます。日本はこれらの地域からの文化的影響が大きいはずなのに何故肉食文化がはやらなかったのでしょう?
肉すき

  1. 宗教というより、食肉用に豚を飼う習慣が無かっただけではありませんか。牛は主要な運搬手段だったので食べませんが、イノシシやウサギやカモは食べるし、スッポンも鍋にすればクジラは捕るし、日本人が完璧に肉食を断った時代は無かったのではないでしょうか。
    BUN

  2. BUN師匠、ウサギに関してだけ一言申し添えますと、
    ウサギは一羽、二羽と数えますように、「鳥」に準じた扱いでございました。
    どうもこれ、坊さんが肉食べたいために、「よく跳ね、ふかふかした毛皮」の
    ウサギは獣ではない、鳥である、とのこじつけの結果らしいです。
    (つまり、仏教でも−少なくとも日本では−鳥はOKなのですね。
    「花鳥風月」の言葉にもあるように、鳥は自然の一部という感覚が
    日本人にはあるということでしょうか)。
    勝井

  3. イノシシは山クジラとか、だよね。しかし、warbirdsなんだが・・・。
    BUN

  4. 史料に基づいているわけではないので、あくまで推測ですが一言。
    日本人があまり獣肉を食べなかったのは、仏教云々以前にそもそも国土が気候的にも地理的にも畜産に適していなかったからなのではないでしょうか。もともと盛大に獣肉や乳製品を食い散らかしていたところへ、仏教が伝来し、突如として食習慣が変わったなどというのはどう考えても無理があります。「仏教のせいで廃れた」のではなく、「もともと習慣がないところへ、仏教がダメ押ししたので特に抵抗も無くスンナリと廃れた」というのが妥当な見解かと思われます。
    中国の場合は日本とは逆でしょう。もともと肉食が盛んになる条件があったからこそ、「仏教の建前論など無視され、伝統的食習慣が変化することなどなかった」のだと思います。(ちなみに時代によって差はあるものの、中国では道教の方が遥かに影響力が強く、仏教は日本ほど定着していないようです。)
    朝鮮の場合はよくわかりません。ただ、「朝鮮=焼き肉」と思われるほど朝鮮の人達は肉を食べているわけではない、という話を何かの本で読んだことがあります。また琉球ですが、これはまあ外交上中国との交流を大事にせねばならなかった歴史がありますから、少なくとも本土よりは積極的に中国的な食生活を受け入れる必要もあったのでしょう。
    桃水軒

  5.  日本人の肉食については時代ごとに情況がちがいます。確かに、BUNさ
    んの言うように決してすべての日本人?(日本人という観念が出来上がった
    のは鎖国以来だそうで、確か歴史学者の網野さんが書いていたと思います。
    厳密に言うと江戸時代以前に日本人一般の話をするのは難しいのですが。)
    が肉食を断った時代はありません。ただし、傾向としては肉食に抵抗を感じ
    た時代があるのは事実です。仏教伝来というよりも、あきらかに肉食に対す
    る嫌悪感や「けがれ」感が出てくるのは鎌倉時代以降のようです。平安時代
    の貴族の日記を見ると割と平気で肉食をしています。ただし、同時代の結構
    批判的な記録もあります。
     実は鎌倉仏教諸宗が成立するまでは、仏教は因果応報を説く宗教といった
    感じで、特に教理の理解の深い特別な人を除くとあまり一般人の内面への影
    響はなかったのです。鎌倉仏教が出来てから初めて多くの人々は内面の問題
    として信仰と向かい合ったようです。この時期から「けがれ」の問題が深刻
    化していきます。実態としての部落差別の発生についても大体この時代に始
    まると考えるのが通説です。ですから、実際に一般人に仏教が倫理的に影響
    し始めたのはこの時代からと考えてよいでしょう。
     朝鮮半島のことはあまり知らないのですが、元の侵入以前は高麗は典型的
    な仏教国だったようです。食肉の習慣は元軍の進駐から始まったという説を
    聞いたことがあります。琉球は南方の島々の影響がかなり強い所ですから南
    方の島々の食習慣から考えても豚を食べるのは自然なことです。また、中国
    については仏教の影響を過大評価しがちです。仏教の盛んだった時代でも支
    配者が仏教に関心があった時代と考えるべきで、やはり底流としては道教に
    つながるような民間信仰が中心です。
     まあ、現実的な回答としてはやっぱり日本には牧畜技術が根付かなかった
    ことが最大の原因のように思えます。以前、江上波夫の騎馬民族説が一世を
    風靡しましたが、今はかなり風向きが厳しいようです。反論の最大の根拠は
    牧畜で最も重要な基礎的な家畜の繁殖技術(例えば、去勢の技術)が全く日
    本に根付いていないことがあげられ、江上も有効な反論ができない情況です。
     結局、日本社会では人間に対しても動物に対しても冷徹な支配・管理技術
    が作れなかったんでしょうね。
    追記
     乳製品については全くの輸入技術ですので、記録を見てもかなり無理があっ
    たようです。定着しなかったのは気候上の問題もありますが、もともと無理
    なことをあこがれだけでやろうとしたからでしょう。
    tk

  6. 素晴らしい。
    相変わらず歴史関係はtkさんの独壇場ですね。
    勝井

  7. 参考。
    天武天皇4年(675年)4月17日に出された肉食禁止の法令では、牛馬犬鶏猿の肉を食べることが禁止されていますが、うち牛馬は4〜9月のみ禁止期間となっています。つまり、「農機具を食うな」という趣旨が込められていたようです。
    …ということはけっこう食べてたのか…

    なお、屠殺の管理(=専門の階級の確立)が行われるようになったのは室町後期、武具用の皮革を安定的に確保するために各大名がお触れを発するようになって以降だという説もあります。
    Schump

  8. ↑Dtk様。全くの素人で申し訳ありませんがご教授ください。優秀な馬が、関東より北に多く、むしろ西国には少なかった事が江上氏の説の弱みの1つだと聞いた事があります。正しいでしょうか?もし正しければ、騎馬民族が来た後にさらに次の新しい征服者が西方から来たと考えても良いのでは?と、ずっと小さな疑問を持っていました。宜しくお願いいたします。
    roht

  9. >↑優秀な馬が、関東より北に多く、むしろ西国には少なかった事が江上氏の
    説の弱みの1つだと聞いた事があります。
     この件については私は覚えはないのですが、江上さんの説はおおよそは
    「騎馬民族国家〔改版〕」(論争途中で一部説が変化したようですが)に書
    いてあります。江上さんは大変偉い方なのでみなさんあまり批判したくなかっ
    たようで、まともに批判したのは佐原真「騎馬民族は来た!? 来ない?!」く
    らいでしょう。両方とも私の家の書庫にあるはずなので探しましたが見つか
    らなかったので記憶モードです。
     まあ、私から言えば江上さんは日本史の専門家ではなく、東洋史が専門の
    方ですから「騎馬民族制服王朝説」も本気で書いたわけでもなく思いつきを
    書いただけというのがよくわかります。わりと論旨の展開が雑であり、日本
    史の専門家がまともに取り合わなかったのも当然という気がします。それを
    マスコミが大々的に騒いでしまったといのが真相です。発想の根拠もおそら
    く「インダス文明へのアーリア人侵入説」やもしかしたら京大名誉教授貝塚
    茂樹(湯川秀樹の兄です。)の「殷文明騎馬民族制服王朝説」がヒントだっ
    たのかも知れません。「アーリア人侵入説」については文明国?では常識で
    すがインドでは非常識だそうです。物的根拠が全くなく根拠は「ヴェーダ」
    の一説の読み方だけだそうです。しかも、インドの古典研究者が読むと全く
    そうは読めないそうです。でも、いくら正当に反論しても無視され続けてい
    るそうです。日本の検定教科書もそうですね。私もこの主張を聞いてから機
    会があるごとに少しでも多くの人に「アーリア人の侵入はなかった」ことを
    知ってもらいたいと思っています。この件は
     ご質問の件ですが、もうしわけありませんが、私から言えばそのような反
    論があったとしても大勢に影響はないとしかいいようがありません。「優秀
    な馬が、関東より北に多く」というのは官牧の制度ができた平安期の話です
    ので、奈良朝以前がどうかはあまりわからないと思います。信濃・北関東で
    馬の飼育が盛んだったのは西日本は開拓が進んだため土地が狭くなったから
    と主張する人もいますので。また、逆の言い方をすると東国で馬を飼った人
    々たちはほとんどが渡来系の人々だと思います。馬を飼うのは特殊技術なの
    です。六国史を見ると朝鮮系の人々が亡命すると東国に植民させています。
     「続日本紀」716年(霊亀2)駿河,甲斐,相模,上総,下総,常陸,下野の
    7国の1799人の高句麗人を移して武蔵国に高麗(こま)郡が置かれた(埼玉県飯
    能市,日高町一帯)とあります。現在でも地名として残っているのではないで
    しょうか。
     また、最近の研究で重要視されるものに北方からの影響があげられます。
    これは以前から知られていたのですが、彼らは未開民族という先入観から無
    視されていました。沿海州→樺太(サハリン)→蝦夷地→東日本という交易
    ルートがあり、江戸時代には「蝦夷錦」として交易が知られていました。実
    際、「北の元寇」と呼ばれる事件があり、樺太までは元軍が侵攻しておりま
    す。最近の研究ではアイヌ民族の成立自体が北方交易と深い関係があるとみ
    る人もいます。
     東国の馬についても北方からの品種流入があったと考える人もおり、私は
    馬の品種改良は北方説に魅力を感じております。

    なお、
    >7↑屠殺の管理(=専門の階級の確立)
     とありますが、法令(お触れ)と現実の間には微妙なものがあり、西日本
    ではだいたい正しいと思いますが、全国一律でないことに注意。伊達藩では
    近畿から被差別民を移住させ皮革業に従事させた事実が20年前くらいに判明
    しましたが、それまでは東北地方ではこの種の被差別民はいなかったとされ
    ていました。中世までは東国では「奴隷制」があったと考えられていたので
    被差別民よりも奴隷制の研究のほうが重要だと考えられていました。
     網野善彦さんの説では中世の前期において「武士階級」自体が殺人を職業
    とするため被差別民にされる可能性があったと言っております。近畿ではあ
    る程度、賤民化がすすみつつあったしるしがあるそうです。武士が権力をと
    らなかったら武士階級が賤民化した可能性があったというわけです。
     こんなわけで特に近代以前では法令を根拠に話をするときには事実の裏付
    けを確認しないと議論が一人歩きすることがあります。ご注意を。
    tk

  10. 訂正です
     「征服」みんな「制服」になっています。ああ、恥ずかしい。
    tk

  11. tk様。有難う御座いました。勉強になりました。真に申し訳ありませんがもう一つご教授ください。これも30年以上前の記憶モードになるのですが「琉球には、被差別部落は無かった。」と、学んだように思います。正しいでしょうか?お手数をお掛け致しますが宜しくお願いいたします。
    roht

  12.  この件については資料的にはお答えできません。結論から言うと部落開放
    同盟に問い合わせるしか方法は在りません。京都府と大阪府の開放同盟には
    研究施設がありますので返答は期待できると思います。行政に問い合わせて
    も必ずしもその返答が正しいとはかぎりません。もしかしたら「伊波普旨
    (いはふゆう」に著作集がありますので、これなどには関連したことが書いて
    ないかなと思ったりします。確か「沖縄叢書」という題名だったと思います
    が沖縄の出版社の地域研究シリーズもありましたね。
     ただ、一般論としては琉球に「被差別部落」がなかったということはあり
    えると思います。非差別部落の発生は社会構造と階級分化によると考えられています。
    東国で自立的に被差別部落ができなかったのは東日本と西日本日本の社会構
    造に驚くほどの違いがあったからです。史上何度も、東・西日本が別の国家
    に分裂する危機があったくらいです。
     そのことから考えると琉球は著しく本土とは違った歴史展開をしています
    ので、西日本と同じような被差別民制度はありえないと思います。おそらく
    何らかの差別・被差別制度はあったと思いますが、薩摩藩が制度として持ち
    込まない限り「いわゆる部落差別」はなかったはずです。
     でも、これは琉球では階層分化が遅れていたから被差別民がいなかったと
    いいたいのではありません。最近、縄文時代でも支配・被支配関係があった
    という説が主張されており、なかなか説得力があります。やはり、地上に夢
    のような国はなのでしょうね。
    tk

  13. ↑9、階級の件、ご指摘痛み入ります。
    私が参照した資料は関西地方の屠殺の歴史についての本ですので、確かにおっしゃるとおり、西日本でしか妥当性を持たない可能性はありますね。
    Schump

  14.  ワタシが週末にキャンプして肉食べてた間にこんなに多くのご返事ありがとうございます。
     単純に昔は肉食に対する情熱が薄く、規制されたところであまり困らなかった、ということでしょうか。
     これからもよろしくお願いします。
    肉すき(魚もすき)

  15. tk様、何回も有難う御座いました。まだこのサイト1ヶ月ぐらいの初年兵ですが、tk様の歴史に対しての御回答には、いつも驚いております。 tk様は、お餅屋さんですか?そうだとしらやっぱりお餅屋さんは凄いなと思いますし、もしお餅屋さんでないとしたらどんな方だろうと驚いています。この事についてのご回答はいただきませんように。そのほうが夢が有りますので。また色々、ご教授くださいますようお願いいたします。有難う御座いました。
    roht


Back