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週刊コミックモーニングに連載の「奈津の蔵」今週2000年4/20日号。 蔵元の佐伯善造は、東京の大学で電気工学を学んでたのですが 兄の急死により、新潟の酒蔵を継ぎます。 2人の子供をもうけ、酒造りに邁進していた昭和14年、善造は徴兵され、 歩兵大隊の少尉として戦死します。 さて、当時の陸軍に「予備士官」の様な制度は存在していたのでしょうか? 素人の推測では、当時は例え大卒でも、徴兵されれば兵卒となるのが 自然だと思うのですが・・・。 無頼庵 |
このように激増する将校の需要をまかなったのが幹部候補生制度で、1927年に一年志願兵制度を継承してつくられ、学校教練の検定に合格した者が現役兵として一年間在営して教育を受けた後一定期間の見習い勤務を経て予備役の少尉に任じられます。「奈津の蔵」の登場人物が少尉であったのはこうした幹部候補生(甲種幹部候補生、ちなみに乙種は下士官要員)出身であったと考えて良いのではないでしょうか。この制度はその後ますます簡易化され、材営期間は最終的には4ヶ月に短縮されます。
これに対して海軍の予備士官は最初から兵としての教育を受ける制度がありません。予備士官の方が幹部候補生より人気があったのはこの為でもあります。
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ても不合格だったため兵卒として召集されたと自分で語っていたのを読んだこ
とがあります。氏の話では幹部候補生試験では落ちるほうが珍しかったという
ことです。
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