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最近テレビで映画「キリング・フィールド」が放送されてましたが、 クメール・ルージュのような連中に武器を蒔いたのはどこの国なのでしょうか? 中国か露助が軍事支援していたのでしょうか? なにか参考になる本などもありましたら、ぜひ教えてください。 オンナスキー
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- 基本的に中国の軍事援助が大きかったのですが、当時(75年以前)、クメールルージュは「解放軍」として扱われていましたし、その後のベトナム、カンボジア間の戦争でその実態が明らかになるまでは「貧しい中でも懸命に頑張っている革命政権」として見られていたのです。狂気の政権としてのイメージが定着している現在とは百八十度異なる評価を受けていたクメール・ルージュへの援助に対して、当時、同情はあっても批判は有り得ない状況でした。
BUN
- クメールルージュと中国の文化大革命の関連性はよく言われます。カンボジアをベトナムがクメールルージュから「解放」した事に腹を立てて「懲罰のために」中国がベトナムに攻め込んだのが中越紛争でした。結果的にはベトナム側が二線部隊だけで中国の大軍に大損害を被らせて撤退させる事になったのですが。
中越紛争当時日本の右よりのマスコミは反ベトナムの立場から中国&クメールルージュ寄りの報道をしていたのもおもしろい現象でした。
舞弥
- なるほど。当時の中国・ベトナム・カンボジアの関係がよくわかりました。
ありがとうございました。
ベトナムの侵攻は、「解放」を単に領土拡大のダシにしたのか、
それとも、当時の報道活動で徐々に明るみにされたポル・ポト派の残虐性に対して、世界世論になにかアピールするところがあってのことでしょうか?
オンナスキー
- 本音は勢力拡大を図りたいベトナムと、インドシナから中国の影響力を駆逐したいソ連が利害を共にしたからでしょうが、当時、明かになり始めたカンボジア国内の凄惨な状況をアピールし「解放」を正当化するのに利用しました。クメール・ルージュの蛮行が広く知れ渡ったのは、こうしたベトナム及びその傀儡政権の宣伝による所が大きい。
アリエフ
- ベトナムが介入したから犠牲者が結果的に減ったのか、
それともベトナムの介入で起こったポルポト内部の緊張が
さらに虐殺を加速していったのか、
どちらなんでしょうね。
う〜ん・・・
オンナスキー
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