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戦時中機密(であったと思われる(^^;)「大和」や「武蔵」 が広く一般市民に浸透したのは何時頃なのでしょうか?? 1、終戦直後、復員した元海軍関係者や工員等から口コミで 2、伊藤正徳氏の戦記をはじめとする戦記(あるいは回想録) ブームによって(昭和20年代後半?)。 3、ヤマト以降 多分2だと思うのですが‥‥
ちなみに、戦中派のワタシの父は「なんとなく」と申してお りました。 takukou
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- 昭和三〇年代の少年誌の特集記事も影響していると思います。あの時期は軍事記事ブームで
良く小松崎茂の「大和」や「武蔵」の絵入りの戦記が掲載されていましたから(少年誌の特集記事のタイトルが
「栗田艦隊謎の反転!」だったりした時代ですからねぇ)。
大塚好古
- 名前や要目はともかく
「とんでもない大戦艦」の存在は戦時中に噂にあったようです
それが、大和級を指すのか
それとも、市民の願望として自然発生したものなのかは判りません
祖母が言うには4万だか5万トンの戦艦って噂だったようで
米国が想定していた4.5万トン戦艦に合致するので
一種の情報操作もあったのかもしれません
SUDO
- 戦後の流れを大雑把に纏めると、終戦直後の「真相はこうだ!」の様に批判的に取り上げられた時期が過ぎ去るかどうかと言う頃からもう「島風は高性能だった」とか言った記事を載せた出版物が出回り始めるのです。雑誌類を手に取ると内容の詳細はともかくマニアックなアイテムであったり妙に感心してしまいます。少年向け出版物に戦記ブームが起きるのはそれより後で、その下地は大衆向け雑誌類にあったのです。「日本軍の秘密兵器」がある人々の心の支えだった時代があったと言うことなのでしょう。今書店で仮想戦記小説を手に取る人々とどこか重なるような気もしますが・・・。
BUN
- 話はそれますが宇宙戦艦ヤマトって、太平洋戦争で日本軍の希望の星だったが活躍できなかった大和にSF世界で活躍の場を与え、現代人にも大和の存在を広く知らしめた点でも偉大ですね。
初心マン
- 違います。四半世紀前の番組公開時には更に四半世紀前の戦争を記憶している世代が多数を占めていたのです。「大和」が九州の沖に沈んでいることくらいほぼ常識の範疇でした。それが「ヤマト」として空を飛んだから面白かったのですが、初公開時には全く人気が無く何の話題にもなりませんんでした。
BUN
- 「宇宙戦艦ヤマト」が放送当時、人気がなかったとは読み捨てなりません(笑)。ただ、裏番組が「アルプスの少女ハイジ」とか、猿の惑星のパクリの(見た事ないからそう断じちゃう)「猿の軍団」などと言う一般受けする番組だったゆえ、その人気がかなりマニアックなものだったという事は否めませんが… アニメージュ創刊号の表紙だったし、最初のロマンアルバムだったし、本編を継ぎ接ぎして映画をでっち上げると言う手法の先駆(?)であったなど、人気があった証拠です(笑)
(N)
- しかしなあ。初回放映時の翌日にヤマトの話をしても相手してくれる級友なんぞ居なかったなあ・・。数年後のマイナー雑誌OUTの特集あたりで再発見された、というのが適当なんではないだろうか。
BUN
- ヤマトは初回放映時39話予定を途中26話に詰められたことから見ても初回放映時の人気のなさが伺えます(爆)。
ヤマトが騒がれだしたのは初代の劇場版のあたりからだと記憶しますけど。
大塚好古
- ↑↑ワタシは盟友がおったので、翌日はかなり盛り上がって
おりました。彼は、艦長のコートもどきを着て「艦長と呼ん
でくれ」と宣っておりました。
↑確か映画館の周りで徹夜するはしりが「ヤマト」ではなか
ろうかと?ワタシもセル画を貰いに並んだクチです。
takukou
- 松本零士は「ヤマト」をつくりたいがために「男おいどん」などをヒットさせたといっています。なんとしても大和を復活させて活躍させたかったのでしょう。流星爆弾にさらされ放射能に汚染される地球は、空襲や原爆を連想させます。私はごく子供のころヤマトをみて、それで大和や原爆のことを知りました。
初心マン
- ↑しょーもないつっこみですが、「流星爆弾」じゃなくて「遊星爆弾」だったと思いますよ
taka
- そうそう、「遊星爆弾」でしたね。失礼しました(^^;;
初心マン
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