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123 大陸にて最初にゼロ戦を受領した第12航空隊についての質問です。

1、この部隊の設立の過程を教えてください。
2、歴代の最高指揮官と(要年月)、出来れば細かい編成ごとの指揮官を教えてください。
3、なぜこの部隊が“12”のナンバーなのか、教えてください。

どうかよろしくおねがいいたします。
くずもち

  1. 持っている資料が酣燈社の「日本海軍戦闘機隊」という古い資料であることを
    お断りしておきます。
    1.昭和12年7月7日の支那事変勃発により、11日に佐伯航空隊で編成。
     95艦戦12機、94艦爆12機、92艦攻12機からなり、直ちに第2連合航空隊編入。
     8月7日大連の周水子飛行場進出。船団援護に当たるが空戦の機会なく、
     8月末本土引き上げ。
     9月5日第3艦隊に編入されて上海の公大基地進出。地上直協と防空任務。
     10月〜11月にかけて96艦戦に機種変更。
     12月南京占領と共に大校飛行場へ。13空と合同で漢口攻撃等参加。
     13年3月22日付で13空は陸攻隊へ改編。12空は艦戦隊となる。

     16年9月15日の改編で解隊。搭乗員の多くは3空・台南空へ。
     
    2.歴代司令
     12.7〜12.11  今村大佐
     12.11〜13.12  三木大佐
     13.12〜14.10  吉良大佐
     14.10〜15.6  古瀬大佐
     15.6〜16.3   長谷川大佐
     16.3〜16.9   内田大佐

    歴代飛行隊長
     12.7〜13.3   岡村少佐
     13.3〜13.12  小園少佐
     13.3〜13.8   所少佐
     13.12〜14.10  柴田少佐
     14.10〜15.11  蓑輪少佐
     14.10〜15.1  吉富少佐
     15.11〜16.9  真木少佐

    3.書いてないのでわかりませんね。


     
     
    KI−100

  2. 「第十二航空隊は何故12なのか」

    元々、常設の地名付き航空隊に対して、番号付きの航空隊は特設航空隊として事変、戦時に際して臨時に編成されるものとして大正八年四月十六日に定められています。
    支那事変勃発に際して鹿屋、木更津空で編成された第一連合航空隊に加え、各航空隊からの抽出部隊によって、第十二、第十三航空隊が編成され、第二連合航空隊を構成しました。
    連合航空隊は正しくは特設連合航空隊と呼ばれるもので、昭和十一年十一月十五日に特設部隊として制定され、「特設連合航空隊は特設航空隊二隊以上を以て之を編成し第一連合航空隊、第二連合航空隊等と呼称す。」とされた組織で司令官が置かれ、後の航空戦隊の母体となります。

    さて、その第二連合航空隊を構成した十二空、十三空が何で12,13なのかについてですが、それは前年の北海事件、上海日本水兵射殺事件等によって情勢が緊迫化した為に、館山空、木更津空、鹿屋空からの抽出部隊が編成され、それを第十一航空隊と呼称し、十一年九月二十四日から十一月十六日までの短期間存在した為に、次に編成された特設航空隊が十二番の番号となったのです。
    初めの特設航空隊が十一番から始まったのは、後の航空艦隊がそうであるように、臨時であったり、本来の主力部隊ではなかったりした場合に十一から始める習慣があった為と思われます。また、同時に二十一空、二十二空も編成されているので、連合航空隊毎の番号整理も実現はしなかったものの企画されていた形跡があります。
    こうしたあくまで臨時の特設航空隊も、その後、事変が長期化し、対米戦の準備も進められる段階になると、ようやく一番の番号を持った第一航空隊が昭和十六年四月十日に第14番目の特設航空隊として開隊します。
    BUN


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