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100 戦前の学制を今日に(ニュアンス的かつ大雑把に)あてはめると
旧制大学=新制大学院、旧制高校・高等専門学校=新制大学、専門学校・師範学校=短大・高専だと
思うのですが、旧制中学がイメージ的にピンと来ません。
年齢で言うと旧制中学に相当するのは新制高校ですが、今ほど進学が徹底していた訳ではないですし・・。
以前は旧制中学=卒業後、進学者が多い高校、高等小学=卒業後、就職者が多い高校かなと思ってましたが、
旧制中学から志願兵で下士官になる人が多いので、この理解で良いのかなと疑問に思います。旧制中学を
今日の学制に当てはめる場合、どのような雰囲気で捉えれば良いのでしょうか?小説などを読んでる時、咄嗟に理解したいもので。
無頼庵

  1. ホントに乱暴な話なのは解っています。上記のイメージも昭和初期の理工系の例ですし。
    人文系なら学位取得=新制大学院、旧制大学=新制大学だと思います。
    無頼庵

  2. これは、学生時代に元特攻要員だった教授(世の中は縁なのです)と良く話したものですが、当時の学生のエリート意識というのは今では想像しがたいものであったようです。ですから、旧制中学進学者の持つ意識がようやく現代の六大学程度(それだって何万人もいる訳ですし)の進学者の自負心と釣り合うか、恐らくは劣るか、といった所ではないかとの話を聞きました。
    BUN

  3. 旧制中学というのは通常小学校6年を卒業して中学より上の学校(高等学校、師範学校、専門学校など)を目指す人が5年間行く学校で完全に進学の為の学校でしょう。中高一貫教育のエリート進学校というところでしょうか?私の父も旧制中学出で下士官でしたがこれが中学を出てすぐなろうとしたのか、そのあと2年行った師範学校後だったのか判りません。(短期現役兵だと言っていました)私は父の学校の流れとしての後輩ですが父は新制高校と旧制中学は別だとして私を後輩と認めていません。
    SHI

  4. 昭和16年当時、旧制中学(五年制)への進学率が16%で、さらに旧制高校や師範学校への進学率は一桁台に過ぎなかったと思います(昭和30年にようやく1割だから)。ですから、旧制中学卒業者は企業の中堅幹部になるというイメージではないでしょうか。御田重宝氏の「戦艦大和の建造」で、海軍工廠の技師の中核を占めていたのが旧制中学卒業者であると書いていました。大学卒のエリート技師がいても、作業現場の工員との橋渡し的な役目をする彼らの試行錯誤や努力がないと戦艦の建造は進まなかったのでしょう。大学進学率が50%近くに達している今日ならば、彼らは比較的上位クラスの大学に入れるだけの学力を持っていたと思います。
    アリエフ


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