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なぜ旧日本の艦隊編成は第一艦隊は戦艦ばっかり、第二艦隊は重巡ばっかりと偏りが著しいですか?
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- 第一艦隊は昼間に敵主力と決戦を行う戦艦部隊、第二艦隊はそれ以前に主に夜戦を行い、敵艦隊の兵力を漸減させる為と、任務が異なるからです。これは第一艦隊が解散し、第二艦隊大和と共に消滅するまで基本的には変わりません。BUN
- 実際は各艦隊から「戦艦2隻くれ」とか「駆逐艦4隻くれ」とかやりくりしてたと聞いていますが。
- 艦隊の編制は軍令部までいって初めて行えるものでした。ですから扶桑から大和までの戦艦は第一艦隊が存続中はずっと第一艦隊でした。駆逐艦に関しては活躍した夜戦部隊の第二水雷戦隊(第二艦隊)に対し昼戦部隊の駆逐艦隊である第一水雷戦隊は新造艦の訓練任務を持っていました。BUN
- 当時の日本海軍の思想というのは艦隊決戦主義。つまり太平洋を越えて進撃してくるアメリカの大艦隊に一度限りの決戦を行うという物で、日露戦争でバルチック艦隊を打ち破ったような事をもう一度再現するつもりでした。日本の艦艇はそれを想定して建造されたし、艦隊編制もそうです。こうした日露戦争レベルの戦備と編制で太平洋戦争に突入したというのが現実です。日本は空母機動部隊を主用したから近代的だったという説もありますが、実質的には空母は潜水艦や巡洋艦と同じく戦艦部隊が最後の決戦を挑む前に敵の戦力を減らすという役割
- でした。日本が艦隊決戦型に設計された艦艇の建造を止めて当時の実状に適合した艦艇を建造し始めたのも、第1艦隊を廃止して空母機動部隊である第1機動艦隊が生まれたのも昭和19年になってからです。
- 艦隊決戦主義といえば、実は日米共にあまり変わりはありません。WWU当時の考え方としては「空母は敵の兵力を削減、弱体化させる為にあり、残敵は戦艦部隊が掃討する」という戦術がアメリカでも一般的なものでした。ですから米軍は航空攻撃での戦艦撃沈をあまり本気で考えていないよう(日本のような徹甲爆弾が無い)なのもこうした背景によるのでしょう。意外なようですがレイテの米側布陣を見ても何となく理解できますよね。BUN
- ↑なんか艦隊決戦主義と大艦巨砲主義がごっちゃになってないですか?(N)
- 米海軍に徹甲爆弾がなかったというのは本当でしょうか?戦記等では主砲天蓋で弾きとばしたとか、上甲板を貫いた爆弾が内部で炸裂したりとかよく書いてありますけど。もっとも米海軍は大型の艦船を沈める場合、魚雷重視で爆弾の効果は疑問視していたみたいなんで、特に後期は上部構造物や対空砲火制圧に重点を置いて着発信管を多用した可能性はあります。
- ↑日本のように、通常爆弾の他に別誂えの徹甲爆弾を使っていたのでなく、汎用爆弾の信管の秒時を変えて使っていたという事では?(N)
- ↑もしそうだとしたら「大鳳」や「信濃」の装甲飛行甲板というのは全くムダなものだったという事になってしまいます。日本海軍はそんなにバカだったのでしょうか?
- ↑何で「全くのムダなもの」になってしまうの?(N)
- 艦隊決戦主義は一般に水上艦艇の単発の会戦に重きを置く戦術思想、大艦巨砲主義はそこから導き出された造兵の傾向と定義してよいのではないでしょうか。それはともかく、米海軍は自軍の戦艦群に自信を持っていたことが用兵、造兵両面からうかがえると思いますよ。BUN
- ↑WWIIが始まるまで、米海軍が戦艦中心主義(大艦巨砲主義)であったとは思いますが、対日戦の最終目標が日本封鎖による日本の無力化であった米海軍が艦隊決戦主義であったとは思われません。(N)
- 国力に優る側が一回の会戦に全てを託すことはあり得ませんが、米海軍は水上戦闘を決して軽んじてはいない、むしろ重視していると言いたいのです。だからレイテの戦闘の展開に注目しています。米海軍の本質が決戦局面での配置、行動に現れているように考えられるからです。BUN
- 75mmの装甲というのは「3000mからの1000ポンド爆弾の投下に堪えられる」為だったそうです。これからすると明らかに米軍が日本と同じ徹甲爆弾を使用する事を想定していたと思われ、米軍が徹甲爆弾を使用していなかったとしたらこの想定自体が間違っていた事になります。もちろん75mmもあれば飛行甲板上で1000ポンドが炸裂しても艦内部には損害は及ばないし、遅動信管を使用していれば炸裂しないでタマゴのように潰れてくれるかもしれませんけど。
- ↑↑それは穿ちすぎでは?レイテ湾に旧式戦艦が張り付いていたのは、上陸作戦支援の為で説明がつくと思いますが。(N)
- レイテでは日本海軍の主力は戦艦部隊だったので米軍もそうだった事にしないとまずいとか・
- 米艦隊が決戦主義的な艦隊機動を行っていたことは、レイテやマリアナでも伺えると思います、主体が戦艦から空母に移っていたので誤解されやすいですが、空母を使った艦隊決戦だったと見れば、マリアナ戦の展開も、レイテの展開も理解しやすいのでは無いかと思うし、当然根強い「戦艦派」の意向はレイテやマリアナの終盤に色濃く現れているようにも感じます。それと艦隊決戦を日本側から見た場合、敵艦隊殲滅による政治的優位から有利な講和ってのが目標となりますが、一般的な決戦以降は、周辺制海権の獲得による海上交通線の確保>これは敵交通線の破壊も含みます、まさに米軍が大戦末期に日本周辺で行った行為だと思います/SUDO
- 太平洋が「空母の戦い」の様相を強く持っているのは、ひとえに日本戦艦隊のガダルからビアク、マリアナ、レイテに到る何度もの泊地突入作戦の回避、中止によると思っています。またレイテで空母部隊の近海を行動していた高速戦艦部隊は明らかに水上戦闘を意図していました。私、そんなに深い穴を掘っちゃいないとおもいますが・・・。BUN
- 米軍は本格的な反攻の始まる昭和18年以降から大規模な潜水艦を中心とした通商破壊戦を行っています。これによる南方資源の途絶が日本という国を扼殺した最大の要因です。別に米軍は戦争末期に日本海軍が消滅してからそういう事を行った訳ではないのです。この点だけとってみても、米海軍が日本海軍並の艦隊決戦主義だったと考えるのは無理があります。
- 水上艦艇による泊地突入作戦というのが実際に考えられたのは、もはや戦闘可能な空母機動部隊が消滅してヤケクソの特攻作戦をとるしかなくなったレイテぐらいでしょう。あれは大和の沖縄突入と同じで、日本海軍にとってもまともな作戦ではないのです。
- 泊地突入作戦の代表格は「渾作戦」でしょう。レイテはおろかマリアナ以前のことですから、あまり「ヤケクソ」じゃないんですよ。こういった水上艦艇の積極的運用があったら、日米戦艦部隊の会戦の機会は何度も有り得たのです。また、通商破壊戦略と艦隊決戦は全く矛盾しません。米海軍は何度か日本海軍に対して決戦を挑発、強要しています。米海軍主力はマーシャル、トラック、マリアナ、レイテと日本側が不本意な時期、場所で決戦を受けて立たざるを得ないような戦いを行った見事な決戦艦隊です。BUN
- ここはBUNさんの言う「艦隊決戦」がどのような物を指すのか教えて貰わないと話が混乱するばかりかも。
- 制海権を左右する主力同士の海戦が艦隊決戦。下の方でSUDOさんがおっしゃっているように空母主体で行われても、戦艦同士が撃ち合っても決戦は成立します。ここで言いたいのは米軍は戦艦部隊による水上砲戦を決して軽視していない、そしてそれは史実で確認できる、ということです。艦隊決戦を戦艦同士の砲戦と解釈すると混乱します。空母と戦艦についてはWWUでの戦車と歩兵の関係に似ている、とも思います。BUN
- なるほど了解です。しかしあの当時戦艦同士の砲撃戦は制海権を決する「決戦」となり得たでしょうか?空母が片方に有る限り結果がどう転ぼうと大勢には影響ないのではないかと思います。
- また敵の水上戦力を撃破して制海権を確保する事は海軍の重要な任務の一つですが、これは「艦隊決戦主義」とは区別するべきだと思います。日本海軍の編制は、渡洋進撃してくる敵艦隊を戦艦主力の艦隊で1回限りの決戦を挑むように作られているのは明白ですが、それ以外には向いていません。
- 制海権ならマハン、決戦論ならクラウゼビッツを読まれたし。矛盾はないはず。何回か繰り返される決戦を一回限りで済まさざるを得ないのが日本海軍の辛い所です。確かに空母のウエイトは非常に大きくなっているものの、空母で叩いて戦艦他で仕上げる、といった一見古く感じられる考え方は継続していました。レイテで高速戦艦群が簡単に空母を離れて進撃するのも「予想された機動」だからに他なりません。敵空母が健在(と思っていたはず)なのに突進開始する例でもあります。米海軍はこんな局面で、どうも日本より勇敢なようです。BUN
- さらにくどく追加すると、こうした考え方が残った背景には空母同士の戦いは同兵力ならほぼ相打ち、といった戦訓もあったのではないかと思います。空母戦後の追撃が戦艦部隊の大きな役目だった訳です。マリアナ敗戦時に宇垣長官が「追撃の夢醒めはてて」しまうのはこういう事なのです。BUN
- 繰り返しますが、一般的な制海権確保の為の戦闘と「一回限りの艦隊決戦」は区別するべきでしょう。マハンやクラウゼビッツをだすのはいいですが誤用はよくありません。日本は国力がないから1回限りの決戦しかなかった、という言い方はどうでしょう?果たして日本海軍がそのつもりでも米海軍がその気でなかったら?また当時の戦闘の実状にあっていたのか?井上成美の「新軍備計画論」は間違っていたのか?
- 航空戦の後で水上部隊による追撃する、という考え方が無かったとは私も思いません。しかしそれは「決戦」ではなく「残敵掃討」でしょう。エアカバーも無くなり、満身創痍の状態になった敵艦隊に水上部隊を差し向けるというのはロマンチシズム、あるいは水上艦に花を持たせるといった心情的な意味以上のものはないと思います。少なくとも空母同士の戦いの後で両者の水上艦艇による「決戦」が行われた例は私は知りません。
- 例えば日本海軍では台湾沖航空戦の後、残敵掃討の為に2YBを差し向けていますが、相手が満身創痍どころかまったく健在である事を知って慌てて逃げ帰っています。米海軍にもそうした面はあったはずですが、実際の所彼らはもっとシビアです。マリアナでのTFG58-7についてはサイパン砲撃の為に本来の空母主体のTFGから抽出して編成されたと考えられるし彼らは追撃戦を行っていません。またレイテでのTF34というのは、日本海軍の最終目的地がわかっていたので万一の為にそれを直前でブロックする保険の意味で編成されたものでしょう。
- 繰り返しますが、米海軍が戦艦による水上砲戦決して軽視していない、という主旨なのです。また小さなことですが、レイテの高速戦艦部隊が分離したのは小沢部隊壊滅前で、残敵掃討(これは逆に日本側戦艦隊がよく使う用語)ではなくもっと積極的な用兵でしょう。この辺までは解っていただけると思います。お題からも大きくそれましたので、井上成美等については別の場所で議論することにしましょう。御相手感謝。BUN
- 米海軍が水上戦闘を全く捨てた訳ではないという点については同感です。最後にTF-34について補足すると、これは本来栗田艦隊をサンベルナルディノ海峡でブロックする目的で編成されたもののはずです。栗田艦隊はサマール沖で引き返して残るは小沢艦隊のみ、と早合点したハルゼーのブルランで北に向かわされてしまいましたが。ただし、ブルランが無ければそこに行き着く前に栗田艦隊は航空攻撃で壊滅に近い状況に陥っていたのは必至で、両者の間で水上戦闘が行われていたとしても、もはやそれは「決戦」ではなかったのです。
- ↑サマール沖ではなくシブヤン海でした。
- ↑戦闘と「決戦」をごっちゃにしてませんか?たとえ栗田艦隊が無傷であったとしても決戦では無いと思うのですが・・・・>レイテ戦を決戦と見るのには少し抵抗がありますし、その中の1局面だけを取り出して「決戦」と称するのにはより大きな違和感を持ちます/SUDO
- だからぁ、決戦じゃないんですってば。米軍がTF-34を栗田艦隊阻止に投入した事を取り上げて「ほらやっぱり米軍は戦艦同士の決戦を考えていたんだ」とか勘違いされないために書いたんですよー。ちょっとずっこけた。
- ついでに言うと、私はレイテを「ヤケクソ」とは書きましたけど決戦なんて書いてません。機嫌が悪いから書いちゃうけど、レイテを決戦と呼んだのはBUNさんです。(こうなったらいよいよ名前は書けないな)
- ↑申し訳有りません!私BUNさんとSUDOさんを混同してしまいました。本当に申し訳有りません。(当分自粛します)
- 名前を書きます。お馬鹿なEOSでした。
- いや、乱入した私が悪いです>しかも揚げ足なカキコばかり・・・/反省SUDO
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