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大戦末期、米軍機は日本の都市に対し「つぎの爆撃目標はこの都市です」といった爆撃予告ビラをまいていたそうですが、本当にその予告通りに爆撃が実行されていたのでしょうか。
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- B29の爆撃は19年夏から20年3月までの工場を目標とした高高度精密爆撃の時期と、20年3月から5月末までの大都市に向けての夜間低空焼夷弾攻撃、その後の大都市低高度昼間焼夷弾攻撃、7月からの地方都市への焼夷弾攻撃、とほぼ四時期に分けられます。国民の士気を挫く為に行われた最後の時期に予告ビラが使用されたのですが、日本の防空網が大都市(主に関東)中心であったこと、防空兵力が温存策をとり、戦闘機の邀撃が下火になっていたこと、等から爆撃予告を行っても損害はありませんでした。
- それと、もうひとつ、ある都市を目標としていても、必ずしもそこに確実に投弾できていたわけではありません。第二目標に投弾できれば上々でした。例えば浜松のように爆弾の捨て場として損害を連日のように被った都市もあります。
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