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初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。 僕の祖父は戦時中、立川で働いていたのですが(当時17歳)、ある日「命の要らない奴はついて来い」といわれ、仕事も暇だったのでついて行ったところ、そのまま航空機のエンジン輸送のために伊丹まで行ったそうです。途中、迷彩の戦闘機が護衛についたそうなんですが、こういったことについて何かご存知のことを教えて下さい。手がかりがありそうな資料や似たようなお話でも何でも結構ですので、お教えいただければ幸いです。 こじま |
- 戦闘機護衛つき、ということは敵戦闘機が日本本土まで入っている時期と思われますが、これは硫黄島からの米陸軍機の場合もあるでしょうし、敵空母機動部隊の接近に対する警戒かも知れません。いくらか時期の絞込みが出来そうです。
「立川」「発動機」というと、とりあえずまず思い浮かぶのが、日立航空機立川工場(陸軍向け航空発動機生産)です。ここの産品で、そうした警戒配置の中、緊急に輸送する必要があったものがあるとしたら、ハ−112でしょうか。
片
- お答えいただき、ありがとうございます。護衛の戦闘機の機種、輸送機(か他の大型機)の機種はどういったものが推測されますでしょうか?
こじま
- 1.のとおり立川は陸軍機メーカーですので、陸軍の輸送機でエンジンを輸送できるだけの積載能力があるとなると、一式輸送機(キ56。発動機積み下ろし用の大型ドア装備)で間違いないでしょう。
キ56の要目:
http://www.d-b.ne.jp/t-key/ac/ki56.htm
Schump
- 回答ありがとうございます。画像を祖父に見せて確認したいと思います。おおがましいことをいうようではありますが、一個人の歴史を風化させないようにしたいと思います。妙な文になってしまいました(^^;がまたよろしくお願いいたします。
こじま