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いつも教えて頂きまして、ありがとうございます。 資料を調べたり、Ans.Qの過去ログに目を通してみたりしたのですが、 どうしてもわからないので、よろしければどなたか教えてください。 真珠湾攻撃のさいに、「第二次攻撃を行い、港湾設備や450万バレル の重油タンクを破壊しておけば、太平洋戦争の展開は変わっていた」 という説を、時折目にするのですが、妥当な意見なのでしょうか。 私個人としては、 ・南雲艦隊では敵残存兵力を把握していなかった(=反撃の危険あり) ・港湾施設破壊は、米海軍の作戦に影響したかもしれないが、工作艦の 派遣や、米本土港湾の利用である程度代替できるのではないか ・重油タンク(タンクは地下にあったという話もありますが)を破壊しても、 米本土よりタンカーを回航すれば解決するのではないか という3点から、早期引き上げはやむを得なかったと思うのですが。 また第二次攻撃を行うなら、港湾施設や重油タンクより「航空兵力・ 残存艦艇の徹底撃破」を行ったほうがよいのではないかと思っております。 ここで、修理不能なほどに戦艦や巡洋艦を破壊しておけば、米海軍は 後々の上陸支援艦艇や、機動部隊護衛艦艇に困ると思うのですが。 もしよろしければ、お教えください(議論ボードかもしれませんが)。 高村 駿明 |
- 最初に断っておきます。あくまでも個人的な考えです。
南雲機動部隊はもう一回の出撃をするだけの艦艇の燃料が無かったと考えます(これはタンカーから別れて、再度合流するまでの航行を見れば判りますが、駆逐艦はほぼ空になる計算です)
タンカーから別れるのは真珠湾哨戒圏外ですから(タンカーが失われたら終わりですから)そこから南下して、攻撃距離まで進出し、攻撃隊収容まで28ノットで走り回り(加賀の最高速度)日没後も高速でタンカーを追いかけて翌日合流というスケジュールになっており、最初から二度目の攻撃をしかける予定で無い限り、二度目の攻撃は絶対に出せません(攻撃隊収容後にタンカーを追いかけているので、第二次攻撃隊を出した場合はタンカーを追うのが三時間は遅れ、これは恐らく駆逐艦には致命的でしょう)
という訳で、最初から日本軍には、第二次攻撃をやる気は無かったと考えます。
また、出撃354機中、喪失は29機ですが(第一次8機、第二次21機)被弾機は第一次29+ 第二次67機に及びました(特に第二次の急降下爆撃隊は78機中無傷は20機しかありません)
無傷の機体は220機ぐらいしかないのです。
第一次攻撃隊の喪失・被弾率は20%、第二次は51%です。もう一度出したら、60%以上、おそらく70%ぐらいの喪失被弾を出すでしょうね(敵は待ち構えているのです)そうなると、南雲機動部隊には、無傷60〜70機に、損傷した機材が250機という事になります(まあ数日で相当数が復活するでしょうが)
これではハワイ海域から離脱する時の様々な懸念(例えば所在のわからない敵空母とか)に対処する事が出来なくなります。
無傷220機(+して損害軽微な機材)は敵状不明の状況ではギリギリの戦力ではないかとも考えられます(そして、恐らく当初の日本軍の想定では、もっと損害は大きいと見ていたのではないでしょうか?)
思ったよりも被害が少なかったから、もう一回ぐらい出せたんじゃないかと後から言えるだけで、現実的には、そんな余裕なんか無いです。
また巡洋艦の多くは第二次攻撃隊から逃げて外に脱出してます(ミネアポリス、セントルイス、デトロイト、フェニックス)
第三次を出しても、そこには目ぼしい艦艇はあまり残ってません。
そして火災の影響でろくに照準できませんから艦艇を狙うのはあまりよい手段ではないでしょう(重油タンク等は壊せるなら壊しておいて良い目標ですが、前述したように、残存戦力空母一隻分にまで落ち込ませるだけの意味があるとは思えません)
もう真珠湾には獲物は残ってなかったのです。
SUDO
- ゴミです)
25年くらい前に行ったときに2.5世(母系と父系で世代がちがうので)の人が
山のほうに地下タンクがあって日本軍もそれが判っていたのか重油タンクを攻撃しなかった、と言ってましたが、真偽(地下タンクの有無等)のほどは知りません。
部外者
- 回答ありがとうございました。
「現実的には不可能」という結論の論証、大変説得力を感じました。
こうした検証に「これが正しい」とは、神様でもない限り、断言
できないでしょうが、貴重なご意見の一つと承りたく思います。
鵜呑みにしたり、何かを言う根拠とするつもりはありませんが、
大変勉強になりました。>SUDOさま
お教え頂きありがとうございます。
重油タンクについては、諸説あるようですね。地下タンク疑惑は、
どの本かは忘れましたが、搭乗員の方が書かれた本でも読んだ記憶
があります。>部外者さま
高村 駿明
- 仮想戦記的には非常に魅力的な案のようで、度々登場してますが、
日本は当時急速に重油タンクの地下化を進めてまして、
自国の趨勢に照らして当然のようにハワイも地下タンクと考えていた、という説があります。
逆にハワイで空襲を受けた方は何故タンクを破壊しなかったのか不思議がっていたという回想もちらほら見受けます。
もっともタンクを破壊したからといって即重油に引火するわけではありません。
重油というものはガソリンなどと比べて非常に引火しにくい油で
戦艦の防御構造に採り入れられているくらいです。
逆に一度引火すると船にとってもっとも恐ろしい災厄となりますけど。
勝井
- >4. おわかりだとは思いますが(^_^;)、「重油タンクを攻撃すべきだった」説は、重油を燃やして大火災を発生させようという話ではないと思います。
ささき
- でね、USNのHistoricalCenterでも行って、真珠湾の被害を見てください。
いくらでも腐るほど写真あります。あれに追撃を出す必要があるのか、本当に考えてください。
第二次攻撃隊が去った後に浮いていて行動可能な巡洋艦以下は全部港外に脱出しましたから、真珠湾に乗っていたのは以下の艦です。
テネシー メリーランド ペンシルヴェニア(他の大型艦は全部沈んでます)
テネシーは外側にウェストヴァージニアが、メリーランドはオクラホマが居たのでペンシルヴェニアはドックに居たので、この三隻は魚雷を受けなかったのが幸いしています。
ボカチンした艦の火災でろくに照準できない状況にあるのは第二次攻撃隊の写真からも明らかで、第三次を出しても、これらの艦に致命傷を与えられる可能性は大して高くないでしょう。
また、脱出できなかった巡洋艦はヘレナとラレイですが、両方とも魚雷食らって着底してますんで、これ以上は別に要らんでしょう。
駆逐艦以下は屑鉄になっちゃってるのもありますし・・・。
ウェストヴァージニアは42年6月にドックに入りましたが
http://www.history.navy.mil/photos/events/wwii-pac/pearlhbr/ph-wv9.htm
この有様でして、これに追加で何かやってもあんまし変わらないでしょうね。
カリフォルニアはこんな感じ
http://www.history.navy.mil/photos/events/wwii-pac/pearlhbr/ph-ca9.htm
よく直したよなって感じでして、これも追撃は要りませんよね?
比較的軽症っぽいネヴァダでこれ
http://www.history.navy.mil/photos/events/wwii-pac/pearlhbr/ph-nv9.htm
言うまでもなく、オクラホマとアリゾナはあれですから・・・・。
http://www.history.navy.mil/photos/events/wwii-pac/pearlhbr/ph-ok9.htm
オクラホマ、全損
http://www.history.navy.mil/photos/events/wwii-pac/pearlhbr/ph-az7.htm
全損状態のアリゾナさん。まあ、ここまでやれば復帰は諦めてくれると・・・。
私としては、これ以上出すのはリスクを考えると、あんまし美味しい事ではないと思うんですがね。
SUDO
- 零戦の20ミリ機銃の弾、どのくらい残ってたんでしょうか。
もうほとんどなかったんじゃないかなあ。
片
- 機銃弾で思い出したんですが、例の浅海面対応改良型櫃をつけた魚雷ってば100本しか乗せてないんですよね。
それと、80番徹甲も、戦艦主砲弾改造だったから、そう多くは無いだろうし・・・。
やっぱり最初から「もう一度」は考えていなかったんだろうなぁ。
SUDO
- いや、100本あったら2回攻撃には十分と思いますけど。
それに従来型魚雷もそれなりに積み込んでただろうし。
少なくとも爆弾・魚雷の量からだけなら2回攻撃可能でしょう、
というか不測の事態に備えただけかもしれませんが。
勝井
- >9
いや、搭載したという話は聞かないのだが?>従来型魚雷。
昭和14年4月の戦時所有数見積もりの機動部隊の項は、91式改2が100本ってなっていて、現実には91式改2以降は0本と記されてるんだ。
つまり加賀が11月に積み込んだ100本ってのは、機動部隊が初めて魚雷を本来の充当数を得た瞬間ではなかろうか?
ちなみに昭和16年8月の航空魚雷の戦時編成に対する充足率は45%。
果たして空母機動部隊は91式改2以降の魚雷を、あの浅海面対応型以外に積んでいたのか?
SUDO
- >7 真珠湾作戦に参加された方の証言で零戦の20mm機銃弾を
各銃60発のところ45発にしての搭載弾数を揃えたという件を
読んだ事が有ります。(確か海軍戦闘機隊だったと思います。)
勿論ジャムの問題で装弾数を抑える意味も有ったと思いますが、
第一波,第二波制空隊は、出撃報告では、帰艦した零戦は殆どの機が
20mmを撃ち尽していますから、恐らく第二次攻撃で零戦隊が
出撃した場合は、20mm機銃弾無しでの出撃になったかも知れませんね。
無限
- 今さらですが・・・・
たとえ真珠湾の全艦艇を撃沈し、燃料タンクを破壊し、全航空機を撃破しても、大戦の結末はあまり変わらなかったろうと思います。
エセックス級空母の出現まで、ヨークタウン級空母でつないだのは事実ですが、仮にそれがなくとも、日本軍は米本土を攻撃・占領することは不可能だったでしょう。
ですから、全艦撃沈していても、仮にハワイを占領していても、米国の潜水艦の前にハワイも孤立し、補給も出来ず、結局はエセックス級、インディペンデンス級、そのほか大量の護衛空母の登場の前に勝利はなかったと思います。
当時のアメリカの空気では、たとえハワイを占領されても、本土ではないし、講和に応ずるどころではなかったと思うし。(現に、よほど大きなフィリッピンを占領されても、講和する気持ちは毛頭なかったので。)
燃料タンクを爆破すれば歴史が変わった・・・・などと思うのは、その後の米国の生産力や戦闘意欲をまったく計算に入れない偏った理論で、パチンコでスッた人間が、「最初の1発が入っていれば運命が変わった」などと言うのと同列の議論でしょう。
それは、米国の原油産出・精製能力の1日分と、ハワイの備蓄燃料を比較して見ればわかることだと思います。
正規空母を毎月1,2隻も就役させ、護衛空母は100隻以上も作った大量産国にとって、最初の数隻は誤差の範囲。
開戦後に着工した正規空母は1隻も完成できなかったような国が、ケンカを売ったのが間違いの元ですね。
クリスティー
- >12
言いたい事は概ね理解できますが、雲龍型の起工は昭和何年の何月かぐらいは確認した方が宜しいかと思います。
SUDO