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733  議論ボードで鉄道関係のことが盛り上がっていて、思い出したのですが。
 独ソ戦時、独の鉄道が標準軌で、ソ連の鉄道が広軌だったため、独軍は鉄道の改修をしながら進撃しました。その際、独軍は単にレール幅を改めるだけではなく、新たに給水所等を増設しないとならなかったため、独軍の補給が滞ったというのは事実なのでしょうか。独の機関車よりもソ連の機関車の方が大型で石炭や水を大量に搭載できて牽引できる距離が長かったため、ソ連の給水所等の間の距離は独よりも広くなっており、独軍は給水所等を増設せねばならなかったと聞いたのですが。
 もし過去ログ等に既にありましたら、すいません。
山家

  1.  独ソ戦の鉄道事情については情報不足ですが、クレヴェルト『補給戦』原書房(兵站についての元ネタは大体これ、復刊求む)第五章に

    「ソビエトの機関車はドイツのものより大きいため、給水駅は遠く離れていた。しかもその多くは破壊されていた。」

    と、あります。その他にハードに関する問題だけでも、石炭(ドイツ炭かガソリンを添加しなくては使えない)、信号・通信施設の不足、軌道の脆弱性、軌道変更そのものの困難性などがあったようですが、具体的なことに関しては鉄野郎では無いのでよく分かりません。
    バツ

  2. ゴミレス
     鉄分が抜けて数十年経っているので、記憶モード爆発状態ですが、蒸気機関車の航続距離について。
     蒸気機関車は通常石炭の5倍(重量)以上の水を消費します。我が国の蒸気機関車ですと数十キロから100キロ程度で一回の給水が必要です。特急「燕」が東京から名古屋まで無停車で運行されたときには、牽引機であるC51に水を供給するため通常の炭水車のあとにミキ20という水タンク車を連結しなければなりませんでした。
     中国に売られた旧ソ連の幹線用蒸気機関車の水タンク容量で44トンという例がありました。これは我が国のD51の水タンク容量(20トン)の2倍以上です。

    カンタニャック

  3.  とりあえずこれをどうぞ。私も最近見つけましたが目からうろこが何枚も落ちました。
    http://www.feldgrau.com/dreichsbahn.html
     水を節約するため、世界的にも珍しい複水式蒸気機関車(蒸気を冷やして水を回収・再利用する)もあわてて開発されましたが、完成した1943年にはドイツの占領地域は縮み始めていたので、あまり活躍できなかったでしょう。Kondenslokって何、とNiftyの鉄道フォーラムに質問を出したのが懐かしい思い出です。

    マイソフ

  4.  バツさま、カンタニャックさま、マイソフさま、どうもありがとうございました。
    山家

  5. 3> マイソフさん、興味深いサイトをご紹介いただきありがとうございました。
    カンタニャック


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