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男性ではないんですけれども教えてくださる方がおりましたら宜しくお願いします。 私はあるきっかけで神風特別攻撃隊の本を読みました。 その中で最初の攻撃に出陣した敷島隊?でしたっけ?その隊長に任命された関行男さんと言う方の事なんですが(彼は実は本来の搭乗機は戦闘機ではなく爆撃機だったのに戦闘機に乗せられ特攻するに至った。)と、少し悲観的な文で書かれていたのに少し疑問を感じました。 飛行機の事は詳しくないのですが車で言えば軽自動車からいきなりトレ−ラ−で仕事してくる位の操縦の差?なのかなぁ?と思いました。 そんな大事な最初で最期の戦闘に何故そんな方がいかなければいけなかったのでしょうか? 確かに本にもその時はもはやベテランパイロットが殆どいない末期と書かれていましたけれど、ベテランなら爆撃機に乗っていた方だろうと戦車に乗っていた方だろうと何でもかんでも戦闘機に乗せていいのかな?と思いました。 ただ教えて頂きたいのは、いくらベテランの操縦士が少ないとは言え戦闘機で実戦に出た事も無い方に実戦させる位なら少ない中でも関さんに変わる戦闘機乗りの方の一人や二人くらいは実在していたんではないでしょうか?宜しくお願いします。 <注>飛行機関連か戦歴関連のどちらが相応しいのか迷いましたが取り合えずこちらの方で質問させて頂きました。 SAYAKA |
- 日本海軍でいう「爆撃機」は一般にイメージするような、B-29のような大型の飛行機ではなく、一般に言う戦闘機にかなり近い小型で動きの速い飛行機でした。(艦上爆撃機という種類の場合です)
また、この大戦末期の頃には、爆撃機の性能や数の問題もあって、戦闘機(零戦)をこの爆撃機の任務にも投入するようになっていました。
この時期の日本海軍の爆撃機の大半は戦闘機を転用したものだったのです。
まあ、この攻撃、201空だったから、戦闘機部隊だし、関大尉が艦爆のりなのかどうかは私は知りませんが、爆装戦闘機で出撃するというのは、まあ別に珍しい事でもなかったでしょう。
また関大尉が出る理由は、彼が兵学校出身者の所謂エリートコースを歩む士官だったからです。記念すべき特攻攻撃の指揮官はどうしても海軍本流のエリート集団から出さなければならなかったのです。
SUDO
- 有り難う御座いました。
いろいろ勉強になりました。
死をもっての出撃にさえ階級や後になっての言い訳がましい口述の為に人員選びが有ると言うのは矛盾きわまりない嫌な歴史ですね。
結局、戦争が終わって見れば神風=若人が国の為に殉した!と、言うところだけで階級がどうとか偉い立場の方が自ら殉したなんて事実は得にクロ−ズアップされませんものね。
SAYAKA
- 以下、駅前本屋の文庫本程度の通説のまとめです。もし詳細を伺う気なら諸氏に。
>偉い立場の方が自ら殉したなんて
神風特攻を指令した大西瀧次郎中将は、(会社で言うと専務・常務クラスの階級です)
終戦の日、爆撃機の後席に同乗して自分も神風特攻に参加してます。
(自分は操縦できないので、ナビゲーターの座る後部座席に搭乗した)
そして、大西中将の行動に関しては「自分の贖罪の為に、罪のない操縦士を巻き添えにするのは良く無かった」
との意見が多々あります。
行動の是非はともかく、「偉い人が責任を取ろうとして自ら殉した」事実はあります。
(なお、僕はその種の行動をまったく評価しないですが、事実です。)
以上は、各所でクローズアップされてますが、関心の無い人は気付かないんです。
無頼庵
- さらに。
関大尉は、会社で言うと、(将来幹部を約束されている)課長クラスの人物だと思ってください。
嫌な歴史ではありますし、往年に較べるとちゃんちゃら可笑しいのですが、
「現在の日本企業のリストラ手法」と同じような方法論も感じます。
無頼庵
- 無頼庵さん、いけないよ。
人違いだ、人違い・・・。
大西さんは切腹しています。
BUN
- 泪で目がうるんで宇垣纏中将と勘違いしますた。
無頼庵
- 事実上の「自殺命令」ですから、命令する側である兵学校出身の中核幹部集団からも犠牲者を出すのも、また当然のことでしょう。
自分たちの身内はなるべく殺さないようにして、臨時雇いや契約社員に相当するような学徒動員兵や幼少志願兵だけを切り捨てる事も出来なかったんでしょう。
つまり、何等かの高揚するような、状況に酔えるような演出が必要だったのです。
この演出がそれなりに成功をしていたからこそ、後に約2600機、4000人近い人が、タテマエとしては志願で、後に続く事になったとも言えるでしょう。
結局は人間の集団で、そこには色々な心理が絡み、それこそ死を賭した行動であるからこそ、徹頭徹尾演出された舞台である必要があったのです。
エリートコースを歩む、新婚の大尉さんが、悲壮な覚悟を持って、苦楽を共にした部下達とともに、憎き鬼畜米英の巨大航空母艦に体当たりをする。まあ、ハリウッド映画と同じだったんです。
SUDO
- SUDOさんがお書きのように、まさに 演出でありました。ただ少し最後の三行が、演出でそのようになされたと言う意味だと思うのですが、すこし勘違いをされる方がいらっしゃるかも知れませんので念のために書かせていただきます。
>苦楽を共にした部下達とともに、
国民は、そう受け取ったかもしれませんが(あるいはそう宣伝されたかも知れませんが)、事実はそうではなかったと記憶しています?
>悲壮な覚悟を持って
これも真実は本人にしか分からない事ですが、おそらくそうではなかったと思っています。
すなわちSUDOさんのお書きのように、演出だったと言うことです。
roht
- >8
フォローサンクスです。
実際には関大尉は、この部隊に着任してから一月ほどでしたね。
SUDO
- 関大尉の隊の前に戦果は無かったものの特攻隊として出撃した部隊が有ったと何かで出ていたのを呼んだ記憶が有ります。(兵学校出身者にあらず)
真偽はどうなんでしょうね?(割り込み失礼)
素人の空耳モード
- それは先に出撃し未帰還となった大和隊々長、久納好孚中尉(法政大学出身)のことです。戦果は不明ですが、特攻出撃の戦死者としては関大尉よりも先になります。更に突入時間まで厳密に見ると関大尉率いる敷島隊の「神風第一号」は怪しくなりますが、もともと各隊は一回の出撃で攻撃成功したのではなく数回の空振り出撃を繰り返していますから、そのような状況下で関大尉を代表者と考える事もあながち間違いではないように思います。
BUN
- >数回の空振り出撃
あ、そういえば空振り後の「難しいものだ」との関大尉の独り言を聞いた人の話を呼んだことが有ることを思い出しました。
>関大尉を代表者
戦果の確認できるという点でそういえますね。
ありがとうございました。
(戦死者の霊に合掌)
素人の空耳モード
- >8
無頼庵さんに補足です。
>偉い立場の方が自ら殉したなんて
関大尉たちが出撃する少し前、有馬正文という人(大西さんより少し下、関さんよりかなり上)が、自ら「特攻の手本を見せる」為に、台湾沖に出撃して戦死しました。
特攻自体は決して肯定できせんが、自ら部下に求めることは自分でも行う、責任感と勇気をもったリーダーがいたことも、忘れてはならないと思います。
カール・リヒター
- そういえば、海軍の特攻以前に陸軍で英空母(だったかな?)に無爆装のまま意図的(親戚か兄弟の海軍or造船関係者に飛行機で体当たりした場合の艦船の被害を確認していたそうです)に体当たりして沈めた(沈みますかね?)みたいなトピックス的記事が丸に出ていたことがあった気がします。(全くのうろ覚えですので真偽は???記憶違い????)
素人の空耳モード