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日本は何故、太平洋戦争に突入したのか、どうも今一、不勉強で分かりません。歴史は連続の積み重ねですので、太平洋戦争についても、どうも幕末ぐらいからの歴史に精通してなければ説明できないように思いますが、何故日本は太平洋戦争まで突入したんでしょうね。どなたか明快なご説明をいただけませんか。 N熊 |
- 人によって解釈は異なると思いますが…物凄く大雑把に説明してみます。関連する歴史事件に関しては「」でくくったキーワードを検索してみてください。
まず、第一次大戦後の平和に浮かれた時代があり、そのしっぺ返しのように 1920 年代に世界大恐慌がありました(「ブラックマンデー」)。
日本はこの影響を受けて深刻な経済危機に陥り(「浜口内閣」「金解禁」)、ハト派政治家の温和策による経済立て直し策は全て失敗(「若槻内閣」)、最後の手段として海外進出に活路を見出すことになります(「上海事変」「満州国」)。
しかしアジアの植民地権益を守ろうとするアメリカ・イギリスを始めとする欧米先進国と対立し(ABCD包囲陣)、意見の相違から国連を脱退します(「リットン調査団」「松岡洋右」)。
世界の孤児となった日本は同じく米英と対立関係にあったドイツ・イタリアと同盟し(「日独伊三国同盟」)、中国大陸における権益拡大に注力してゆきます(「廬溝橋事件」「日中戦争」)。
ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発、ナチスドイツは短期間で陸軍大国フランスを含む西欧州の大部分を占領し、日本はこれに乗じて旧フランス植民地インドシナへ駐屯します(「仏領インドシナ」)。
日本のこの動きに危機感を募らせたアメリカは日本に対する経済制裁を敢行します(「日米通商条約破棄」「対日輸出制限」)。当時原材料の大部分をアメリカからの輸入に頼っていた日本は何とか折り合いを付けようと試みますが(「日米交渉」)、アメリカは中国からの撤兵を絶対条件として譲りませんでした(「ハル・ノート」)。
ハル・ノートの受諾=中国からの完全撤兵は日本の生存政策に根本的修正を求めるものであり、日中戦争において既に少なからぬ戦死者を出している国民感情としても容易に受け入れられるものではありませんでした。なかんずく軍人にとっては納得しがたい条件であり、歴史は軍人の不満によるクーデターという最悪の可能性も提示していました(「2・26事件」「5・15事件」)。
しかしアメリカはハル・ノートの内容について妥協することを認めず、受諾しなければ石油・鉄鉱などの輸出を全面停止すると通告していました。日本国内には数ヶ月分の石油備蓄しかなく、輸入9割を頼っていたアメリカからの石油が止まれば日本の外交的切り札である連合艦隊は動けなくなり、日本牽制のためハワイに展開している米太平洋艦隊を迎撃する能力を失ってしまいます。
この時点において、日本の選択肢はごく限られていました。
1. 奇跡が起こることを期待して、アメリカとの交渉を続ける。
…ただし、アメリカは「ハル・ノート受諾か否か、それ以外の返答は認めない」とはっきり通告していました。
もしアメリカが交渉を打ち切り経済封鎖を発動した場合、日本はハル・ノートを受諾するか、さもなくば備蓄資源だけで開戦することを強いられます。
2. ハル・ノートを受諾し、インドシナおよび中国から全面撤兵する。
前述したように、軍人の不満が爆発しクーデターが起こる可能性があります。
もしクーデターが起きなかったとしても、日本は日中戦争勃発前より更に深刻な経済不況に直面することを覚悟しなければなりません。
3. ハル・ノート受諾を拒否し、アメリカと開戦する。
史実が選んだ選択肢です。
現代から見れば日米開戦は無謀な選択肢に見えるかも知れません。しかし当時はアメリカが戦争に対し不干渉主義(モンロー主義)を標榜しており(この時点でドイツ・アメリカはまだ開戦していません)日米軍事力格差はそれほど大きくなかったこと、欧州におけるドイツの勝利がほぼ確実と思われていたことなど、「やるなら今しかない」という決断を裏付けるだけの理由はありました。
ハル・ノートの受諾は本当に不可能だったのか?日米交渉継続の余地は本当に無かったのか?もし日米交渉をあと半年でも粘っていたらドイツのモスクワ攻略失敗が明らかとなり、日本の決定もまた異なっていたのではないか?など、議論の余地は沢山ありますが、それは歴史研究のHPや書籍を読んで考えてみてください。
ささき
- ありがとうございました。幕末のロシアとアメリカによる開国要求に始まり、攘夷から出発した倒幕運動が明治維新以降対露防衛政策から大陸に進出した日本ですが、何故アメリカと戦わなければならなかったかについて、よく分かりません。陸軍は終始対露脅威論でしたのに何故本来の敵ではなかったアメリカと戦などしたのか?4億の民がいる中国を本当に治めることができると思って侵攻したのか?ハルノートを草案したのはクレムリンのスパイとも言われてますが、ロシア(スターリン)に踊らされて日米は戦したのではないか?。このハルノートは東京裁判でパール判事が述べておられますようにいかなる国家も受諾できる内容ではないと思います。現代ならさしずめ世界中の日本資産(現地工場、会社)を全部当該国に与えて日本に戻れっていうような要求ですよね。国内状況は政党政治が政治的腐敗により崩壊、農村の疲弊、娘の身売り、軍の若い下級将校(小隊長、中隊長クラス)には赤軍革命にも似た革命思想があったことが5.15事件に発展しておるいことも事実です。国内の経済的行き詰まりの解決を大陸に求め満州国という傀儡国家を建設したことがリットン→ハルノート→開戦と繋がっているようですが、なんか明確ではありません。「風が吹いたら桶屋が」って感じもします。本来の対露脅威はどこへ行ったのって感じです。増してや休戦交渉を露に頼もうなんて考えていたなんてお粗末極まりないですね。アメリカの政策転換に翻弄されたって論文も読んだことがあります。同盟の時代が条約の時代に変わったってことだそうですが、同盟とは利害関係で国同士が連携することだと思いますが、条約とは多くの国(世界)を信頼することにより維持されます。アメリカが同盟重視から条約重視に政治転換したことが敗因だと説明されてました。(ブッシュJrの世になってアメリカはまた同盟重視に政治転換してますけど。)一理あると思いました。真実は世界情勢の荒波に揺られて国家目標を誤った日本が米露に翻弄されて狂気の沙汰に出たんじゃないかって気がします。
米国がハルノートを突きつけた真の理由は?日本が仕掛けてくるって考えなかったんでしょうか?どうも米国はミッチェル将軍のような先見性のあり人もいましたが、日本を嘗めていたんじゃないかって思うんです。ガキ大将が弱いものいじめするように。
最後に、幕末から日米開戦にいたる歴史のどこで政治的に可能な決断をしていれば開戦を回避できたんでしょうか?
余談になりますが、アジアを多数訪れて感じるのは大東亜共栄権は完成してるってことです。戦後、兵隊さんでなく商社マンや技術者といった企業戦士の活躍でわが国は大東亜に確固たる地位を築き、経済的絆を築いておることは皮肉です。
N熊
- 米国がハルノ−トを突き付けたのは、別に唐突でも何でもなく、満州事変以降変わらない米国の主張を改めて突き付けたものといっても良いと思われます。
満州事変の時、時のスティムソン国務長官は、当初は当時の日本の外相幣原喜重郎を信頼して、日本に対して同情的な態度を取っていましたが、日本の関東軍が政府のコントロ−ルに無い事を認識すると、以降は日本が満州に侵攻した地域からの撤兵を主張するようになります。
そしてこの姿勢は、この後のアメリカ国務省における対日基本方針として定着する事になります。(経済制裁云々についても、満州事変当時からホ−ンベックを中心に主張されていました。流石に当時のアメリカ政府は、戦争になる可能性が高いからとしてその提案を否決しましたが)
ですから、アメリカがハルノ−トを突き付けた事も、彼らの外交方策に特有の『原則主義』からすれば、別段唐突とはいえないでしょう。
月読
- ・・・いろいろな経緯もありますが
いわゆる先進国が、帝国主義(植民地)主義的な国家活動を是としていた中で
アジアでは唯一、その対象にならなかった・・・日本。
さらに、強引に!その帝国主義(植民地)主義的な国家活動を選択した・・日本。
日本の野望は、近隣諸国アジアへ向き・・・
同じく、アジアへ食指を動かし始めた米国があり・・・
アジアの市場では、後発同士の国で・・・激突した!
少なくとも私は、そう認識しています。・・・極めて大雑把ですがね。
sinn
- >2. そこまでご存知でしたら、Ans.Q ではなく議論ボードに提議した方がよいでしょう。
ささき
- >2・・・ 何が言いたいのか分かりませんな。
戦争の成り行きなんて哲学で語るほど確かなものなどありませんな。
それを戦争的、かつ、理論的、歴史的な流れに組み替えようったって後の祭りですなぁ。
ただ一つ言えるのは誰でも自分が一番可愛い。
自分の国が一番、愛おしい。
世界同士にもなれば昨日の味方が今日の敵。
今日の敵が明日の味方でしょうな。
最期に付け加えると>陸軍は終始対露脅威論でしたのに何故本来の敵ではなかったアメリカと戦などしたのか?>
ここんとこは同意できませんなぁ。
本来味方とでもおっしゃいたいんですか?そんな事はありませんなぁ。
カモフラ−ジュ敵な同士は演出していたかは知れないが、日本は根本に最初から最高先進国アメリカは最終的に敵意を持つ国になるであろう事を自覚した上で(アメリカを凌ぐ日本を作るには何時かはその壁を破る事になるであろう自覚、覚悟の意味)の上で良き?ライバル魂で我が国の活性を見いだそうとしていた事には変わりはないでしょうなぁ。
同盟、同盟なんて言ったってその中には何時も緊張感があるんだし演出的な友好には変わりはしない。
だから戦争話しなんて後で纏めようったって、それは説得力もなければ答えでもない。
じゃ−何でお前はココに来てるんだ?だって!!
そうですね、次回からこういう話しは議論ボ−ドでやらせて頂きます。
越後屋の旦那