725 |
4式重爆装備の陸軍飛行7戦隊及び98戦隊が海軍の指揮下に入って作戦していたのは有名な話ですが、両戦隊に海軍から派遣されいた13期予備学生出身の偵察士官や准士官・下士官搭乗員は、終戦まで両戦隊と行動を共にしていたのでしょうか? また、4式重爆を海軍は「靖国」と呼称していたと聞きますが、それは本当でしょうか? 13期偵青島 |
- 海軍の戦時日誌(だったと思う)に四式重爆が「靖国」という名前で記載されてますので、海軍で四式重爆を「靖国」と呼んでいたのは本当です。
ただし、この「靖国」という名前が一般的であったかどうかは疑問です。
また、終戦まで98戦隊には762空の通信員が敵信班として同行していたようですが、搭乗員についてはわかりません。
源五郎
- 13期予備学生出身者は全員青島空での偵察専修を終えた偵察員で全部で17名。
このうち11名が7戦隊、6名が98戦隊へ配属されたとあります。
これは陸軍が最も苦手とした洋上推測航法を13期に担当させるため、海軍側が命じたもので、彼らは編隊誘導・機長兼航法偵察員として戦隊の中核をになったそうです。
後に13期の追加補充要員が配属され、両戦隊での13期予備学生出身士官戦没者は20名におよびました。
斎藤ヒ連送
- 海軍パイロットの方の手記(たぶん、丸誌上の単発読み切り)で帰還時に迷って陸軍飛行場の上に出て場所がわかった様な書き方をしていたのですがその中で「靖国」が並んでいた云々との記述が有りました。著者は陸攻部隊では無かったと思いますが記憶が有りません。
素人の空耳モード