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疑問に思ってます。 第一次大戦で負けたドイツの事ですが、勝った連合軍、すなわち英国、フランスは再びドイツが戦う事の出来ないよう、戦争で止めを撃ち、国に対しても、一般人ですらまともに食って行く事も困難な状況に陥る位の賠償金を叩きつけてきました。 無論、ここまですれば食うのがやっとで戦争のせの字も出てきません。 何と言っても当時1923年ですが、1ドルが何と、1億6千マルクという程のス−パ−インフレですから・・・’(さすが連合軍もそこまでの賠償金を請求すれば相手も戦争どころでは無いですよね・・・しかし。) そこでドイツは(このままではいけない!何とかして国を立ち直せねば!)と言う事でその為にはまず、植民地支配!これはどんな事があっても確立せねばならない!と言う事で、何だかんだで話しが飛びますが、非ユダヤ思想のヒトラ−政権の誕生でポ−ランドを二ヶ月足らずで占領しました。 そこまでなら話しが分かるのですが、何故、そんなに経済悪化で国民すら禄に飯も食えない状態の国が世界最強とまで言われる<軍事力>をも持ってその後の快進撃を進めて行く事が出来たのか?(最終的には負けたが)そこが知りたいのでアホらしい質問と取る方もいりとは思われますが教えて下さい。 ガキ大将 |
- ちなみに、1923年11月には1ドル=4.2兆マルクです。
このようなハイパーインフレーションに対して、当時のドイツ共和国蔵相の
シュトレーゼマンは、レンテンマルクという新通貨を流通させ、インフレの
それ以上の亢進を阻止します。その後、彼は外相となって、1924年にドーズ
案と呼ばれる賠償金に関する取り決めを締結します。
これは、アメリカの資本をドイツに注入してドイツ経済を復興させ、あわせて
ドイツから支払われる賠償金をフランス・イギリスの対米債務の返済に充てる
というものでした。
ドーズ案が履行された結果、ドイツは1926年までに第一次世界大戦前の水準に
まで経済を復興します。もとより、第一次世界大戦ではドイツ本土はほとんど
戦場とならず、生産設備がほとんど被害を受けなかったことにも留意する必要
があります。その後もドイツへの資本流入は続くことになります。
1929年にはいわゆる大恐慌が起こり、ドイツもかなりの影響を受けましたが、
(NSDAPが勢力を拡大し始めるのはこの時期)ヤング案によってさらに賠償金は
切り下げられています。
その後1933年には、ヒトラーが、賠償金を一方的に支払停止しました。ヒトラー
政権下では、政策として公共工事の拡大や軍需の拡大が行われましたから、
莫大な需要が発生しました。
経済に関して簡単に述べると上のような感じになると思います。軍事に関しては、
とりあえず、
・軍の定員は小さくされたが、士官・下士官の比率が非常に高く、有事には
即座に規模を拡大できるように計画されていた。
・膨大な予備軍の存在
・ベルサイユ条約で禁止された兵器の極秘開発
などが要因でしょうか。参謀本部が統帥局と名称をかえて存続したことなど、
ベルサイユ条約の範囲内で可能なありとあらゆる手段をとって軍事力の維持
が図られています。
道すがら
- まあしかし、政府の負債は「国債残高」といて表に出ない短期債務
の借り換えを含めて膨れ上がっており、強まる一方のインフレ圧力を
貯蓄奨励策などでどうにかこうにか抑え込んでいるのが大戦直前の
状況だったのであろうと思います。1939年以降の新たな交戦関係があ
と5年生じなければ、ドイツもイタリアも、日中戦争下の日本も、石油
代金などが決裁できなくなって自壊したんじゃないか、というのが私の
乱暴な印象です。フランスやポーランドが元気なうちはルーマニアも
強気でしょうし。
マイソフ
- 皆様わざわざご返答有り難う御座いました。
大変良く分かりました。
しかし、時代もあるんでしょうが矛盾だらけに思いますなぁ。
あれだけの戦争で人を殺しておいて差別して、人体実験までする様な国が前半は貸金の返済はちゃんと考えていた?・・・
一体何がまともで何が異常なのか・・トホホ。
ガキ大将
- >前半は貸金の返済はちゃんと考えていた?
第一次大戦直後におけるドイツ・ワイマール政府が賠償金の返済渋ったら、英仏がドイツを占領するかルール工業地帯まで引渡せ、というようなことになるのでは?
統一民族国家の維持が難しくなり国の存亡に関わるのではないでしょうか。
アリエフ
- アリエフ様、そりゃそうですよね!考えたらわかりますよね・・
何事も仕方なくしていた?と言えば皆、そうですよね。
しかし第一次戦で敗したドイツ軍に対して武装解除の命は出たんでしょうか?
ガキ大将