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司馬遼太郎氏の名著『坂の上の雲』にロシア三等巡洋艦ノーウィック艦長フォン=エッセン中佐という人物が登場します。ノーウィックは黄海海戦時ただ一艦脱出に成功したのち、日巡洋艦千歳らと交戦して大破し、樺太に座礁、エッセン艦長以下乗組員が上陸したという記述があります。しかし、旅順陥落後、自沈した戦艦セヴァストポリの艦長が前ノーウィック艦長エッセン中佐であるという記述も出てきます。黄海海戦時には旅順はすでに包囲されていて、外部から入り込むことか出来なかったはずなのになぜエッセン中佐はノーウィックからセヴァストポリに移乗できたのでしょうか?どちらかの記述が間違っていると言うことでしょうか?お知りの方、御教授願います。 司馬ファン |
- 前者の記述が間違いであるようです。セヴァストボリの艦長が度重なる
衝突事故の責任を問われ解任された後、エッセン中佐が後任に補されまし
た。ノーウィック座礁時の艦長はシュルツ中佐という人物だと下記のペー
ジにあります。
http://www.fortunecity.com/olympia/ince/698/selornia/manchu3.html
ちなみに戦後の艦艇引き揚げについて日本海軍が「エッセン大佐」の意
見を聞いたという別のホームページの記述もありますから、戦艦の艦長になっ
て、どの時点かはわかりませんが大佐に昇進したのでしょう。
ウラジオストック艦隊司令官のエッセン少将は別人のようですが、ドイツ
名前の高級指揮官が多いですね。
マイソフ