QQCCMMVVGGTT
706  捷一号作戦・天一号作戦の時の日本海軍戦艦部隊には、本当に艦隊護衛の戦闘機が1機も無かったのでしょうか。
 捷一号作戦の時には、比島の日本軍基地航空隊が壊滅状態だったので護衛戦闘機が無い状況だったと思われます。
 しかし、天一号作戦の時は、第五航空艦隊をはじめとして、九州・台湾には多数の基地航空部隊が配備されていたはずです。それらの基地航空部隊は、当然、米艦載機群によって損害を受けていたと思われますが、その後の特攻作戦から推測すれば、かなりの航空戦力が温存されていたはずです。
 しかし、戦艦大和を中心とした水上特攻部隊には米艦載機襲来時には1機の護衛戦闘機も無かったされています。
 この場合は、水上特攻部隊と航空部隊との連携がほとんど成されなかったからでしょうか。どなたか、当時の状況について教えていただければ幸いです。よろしくお願いします。
きたうら

  1. 護衛の戦闘機が1機も無かったのではありません。
    言うなれば、<戦闘機>自体はまだまだあります。
    まして捷一号作戦は確か(フィリピン)が舞台ですよね。
    その時、護衛とは違いますが、相手の甲板破壊、錯乱の策で
    初となる特効が行われた筈。(特効するくらいなら護衛出来る戦闘機はいます。)
    しかし特効する戦闘機はいるのに、護衛が出来ないと言うのはそれこそ最早
    ゼロ戦や日本の戦闘機とは言えども米国の的ではなかった事です。
    一般の戦闘や護衛は行くだけ無理、かつ燃料の無駄。ましてやそれに伴う熟練
    パイロットなど数える程。(その殆どのパイロットは太平洋の下で寝てます。)
    まともな戦闘や護衛が出来るなら特効など後送りの筈。

    特効くずれ

  2. 4/7の6:30〜10:00までは直掩の戦闘機が10機程度、水上特攻部隊の上空を警戒していたという記録を見つけることが出来ました。直掩が皆無ではなかったようです。

    きたうら

  3. 3月末の機動部隊迎撃で兵力を消耗したとはいえ、菊水作戦が発動された4月6日は、海軍だけで作戦機400余り、そのうち120機以上は護衛あるいは制空戦闘機ですから、指摘されているようにまだ戦闘機はありました。

    さて、水上特攻に際して連合艦隊側では五航艦長官に対し「GF参謀は同隊(水上特攻艦隊)の行動に対して当隊(五航艦)に迷惑はかけず」(戦藻録より、以下同)と当初から護衛は不要、と言っておるようです。当の五航艦長官は「今次の発令は全く急突にして如何とも為しがたく、僅かに直衛戦闘機を以て協力し敵空母群の攻撃を以て之に策応する外道なかりしなり」という状況であったようで、五航艦は直掩機を合計で24機付けていますね。海軍の作戦機が7日全体で約150機ですから、決して「僅かに」ともいえないでしょう。
    tackow

  4. 詳しく教えていただきまして有難うございました。24機とは意外に多かったと思います。
    きたうら

  5.  余談ですが・・・。確か、天一号作戦の大和特攻時、大和は沈没間際に鹿屋基地だかどこかに(曖昧ですみません)
    決別電を打ったと聞きました。その際に岩本徹三氏の護衛零戦隊は、特攻隊の援護から帰還し、補給を終了していたため、
    すぐに救援に向かったそうです。坊の岬方面の海域だったと。現着してみると大和は既になく、低空で飛び回る米艦載機
    に攻撃を掛け、彼自身F4Uを三機撃墜したそうです。
    はにまる


Back