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初めて質問します。Type 97と申します。 下の688番の質問と回答を見て思ったのですが、帝国陸軍で「強い」ことで有名な歩兵連隊はあったのでしょうか?またその強さはどのように表現されていたのでしょうか? よろしくお願いします。 Type 97 |
- 定評みたいなのがあって、編成地の名前を聞いただけで、あ、これは強いぞ、と皆が思ってしまうのは、先ず薩摩隼人や川筋気質の荒くれを擁する勇猛果敢な九州6師團12師團の各聯隊、耐久性抜群忠勇無双の東北2師團の各聯隊(八甲田山遭難の青森・弘前聯隊など)、対ソ第一線・軍規厳正・特別な耐寒猛訓練で有名な関東軍隷下諸部隊が挙げられます。鹿児島・熊本・久留米の聯隊などと聞いただけで、いかにも強そうです。
また広島5師團(広島人がプツンした時の暴発ぶりは「仁義なき戦い」で有名になりました)、高知、金沢、北海道の聯隊も評判よく、特異なのは海岸の砂丘地で演習を繰り返していたので抜群に足腰が強いと定評の鳥取聯隊。
個人的感想ですが、邊境の地にある聯隊ほど強いとの評判があり、都会の聯隊は平凡な評価しか得ていません。
聯隊の徴募を担当する聯隊區の県民性により評価が決っているような気もします。
撤退命令が出るまで何があろうと現在地を死守するのが粘り強い東北兵、命令もないのに突進を重ねて敵陣を奪取するのが気の荒い九州兵、目立たずソツのない東京兵、など。
あるめ
- 以前に「軍事研究」に第1連隊、第14連隊、第8連隊が連隊長泣かせの三代難物連隊だったという記事が出ていました。(記憶カキコ)
第1は「火事とケンカは江戸の花連隊」、第14は「無法松連隊」で連隊長は兵隊の手綱を絞るのに苦労する。
第8は下スレに出てる理由で連隊長が苦労するという趣旨でした。
真偽はともかくとしてこのような風説が当時の陸軍内にはあったのかも知れません
SAW
- あるめ様、SAW様、ご回答ありがとうございます。
九州、東北の兵が強いというのは何となく聞いたことがあったのですが、東京の第1連隊は初耳です。
我が地元の36連隊も「辺境の地」の部隊ですので(笑)、きっと強かったのでしょう。ちょっと嬉しかったです。
Type 97
- わが故郷の68連隊も地元では精強と呼ばれております。
もっとも地元以外ではそんな話は聞いたことがありません。(^^;
が、強さを表現しようとした例として、現職知事のスピーチをご紹介
”当時は特に中国の方の戦争に行ったわけですが、敵方もよく知っておりまして、日本のどの軍隊が来たかという情報が入ってきますね。六八連隊ということを聞きますと、戦わずして向こうが逃げたということなんです。そのくらい強力な軍隊だったんですね。大阪の人がいたらまずいんですけれども、大阪の軍隊はあまり強くなかった。”
http://www.pref.gifu.jp/s11121/kouen/100406.TXT
をぐに
- 日本軍ではドイツ軍みたいな有名なエリート師団がそんなに知られていませんよね。変な意味では関東軍の部隊は精鋭だったそうです。あの餓島で全滅した一木支隊などは中国戦線で鳴らした日本軍のエリート部隊だったと聞いています。
ベンゼン中尉
- 東京の歩1は頭號聯隊なので、なにかと目立つので、そのぶん「あほなコトをしてはいかん」と云う矜持があったと思います。けれど東京編成の後備聯隊が日露の時に、露軍の大攻勢に遭って、部隊ごと壊走しており、実力としてはあまり強いほうではなかったです。
美濃、伊勢などの部隊は、名前が出ない割に、強力だったそうです。
歩36は、士官學校生徒が卒業時に配属部隊が決る時に、僻遠の地の代名詞にしていたそうです。生徒の愛唱する替え唄にまで鯖江の地名が織りこまれていたくらいです。
ところで、大阪8聯隊名物、深夜の營庭騒ぎというのを御存知でしょうか。
夜中に突然、全兵舎からほとんど全部の兵隊が襦袢袴下のまま營庭に飛び出してきて、喚声を挙げながら駆回り踊り狂い、あわや兵営中狂乱の巷と化すや見えた途端、あっと云う間に兵隊どもは内務班に帰って原状に戻り、し〜んと、してしまう現象のことです。
どこにも記録が残っておらず、けれども聯隊の幹部は皆が知っていて、
曹長「昨晩、アレがあったさうでんな」
特務曹長「へええ、このところ暑つおましたよってにナ。御苦労はんなこって」
と誰も咎め立てしません。普通、出征準備中の部隊にもっと小規模・散発的な形で見られる現象なのだそうですが、平時に周期的に繰り返されていて、問題として取上げられなかったのは、大阪聯隊くらいだと思います。
あるめ
- 記憶カキコなので歩1ではないかもしれませんが、
いづれにしても、東京の下町出身の兵が多かった
連隊の風評だったようです。
(ベランメエ連隊と書いてあったかも)
歩8については、「丸」にだらだら行軍していて、あとから
来た連隊に追い越されたという記事がありましたし、
母も、九州の兵が来ると中国兵が逃げるが、大阪
の部隊は弱いと見て攻撃されるという話を聞いた
ことがあるということですので「またも」云々
という風評はあったように思われます。
ただ、このあたり「御国自慢」の要素が入ってる
知れません。
SAW
- 私が今まで得た知識からまとめた、「東北地方等の辺境の部隊が強かった理由」を書かせて頂きます。
東北地方等はもともとが生産力、経済力等において他の地方に比べて大変貧しい地方でした。そこに冷害等の悪条件がちょっと続くと、若い娘さんを遊郭等に売り飛ばして遊女等にしなくては生き残れなかったような状態でした。「娘の売買相談します」というような張り紙が役所に貼られるような時代でした(もちろん当時は合法的でしたが)。
このような状態では農家の次男坊や三男坊は、穀つぶし的な存在であり、厄介者であり、お米の白飯を腹いっぱい食べる事などなかなか難しい事でした。
そんな時代に、軍隊は三食はちゃんと食べさせてくれる。 衣・食・住 全ての面倒を看てくれてしかも給料までくれる。しかも過酷な生活の中、過酷な労働で鍛え上げられていた身体には軍隊の訓練などそれほど辛いものではない。正に天国(ちょっと言い過ぎか?)のような所だったのです。頑張る気持になるはずでしょう。都会の、ぼんぼんやもやしっ子とは、もともとが違っていたのでしょう。
roht
- ↑補遺。 作家の三島由紀夫氏が徴兵を逃れる為に、現住所の東京で徴兵検査を受けると合格になってしまうので、東京ではなくて原籍地?の田舎(詳細は失念しました)で、田舎育ちの逞しい青年達と一緒に検査を受けて、無事に不合格となったのは有名な事です。こうなると、はじめから構成員の質が違っていたと言う事でしょうか?
roht
- 皆様、たくさんのご回答ありがとうございます。
質問をした時点では「○○連隊が帝国陸軍最強」といったような回答を期待していたのですが、こういうものは公式の文書に書かれるような類のものではありませんし難しいですね。
いまのところ「都会の部隊より田舎の部隊のほうが強かったようだ」ぐらいに理解しておきます。
本当にありがとうございました。
Type 97
- 今頃になってゴミ同然のレスです。
獅子文六の「大番」の主人公は「住んでる大阪では甲種合格間違いなしだが、故郷の南紀では俺なんか骨筋同然」というので籍を故郷のままにしていたのですが、母親が気を利かして籍を移していたため、哀れ徴兵されています。
山奥の人
- 近畿圏での例外として丹波篠山の第七十連隊つうのもあります。
自称明智光秀に頑強に抵抗した丹波武士の末裔で、峻険な山道で足腰を鍛えているから強かったとか。
また、当時の各地の新聞社なんかが郷土連隊の歌を募集していたりしていますね。こういうのを探せば郷土自慢もある程度わかろうものかと
(色は黒いが血は赤い、死んでも退かない六師団〜 とか)
ゴミレス
>8 基本的に「歩兵=歩く」ですから田舎育ちでひたすら歩いていた人間が向いているのも道理かと
ちなみに、農家出の兵士の手紙を見ると、
「実家では日の出の前には起きて馬の世話をしないといけませんが、軍隊では起床ラッパの前に起きると殴られます。ひたすら訓練だけで米を食わしてくれるここは天国です。」などの内容が目に付きますね。
ですが、東北の農村での満期除隊の兵士の評判は「朝寝坊するし、働かない割には口が奢っている」ともありますので、当時の農村の実情を推察するべきかもしれません。
能登
- >近畿圏での例外として丹波篠山の第七十連隊つうのもあります。
> 自称明智光秀に頑強に抵抗した丹波武士の末裔で、峻険な山道で足腰を>鍛えているから強かったとか。
先に行軍している歩8を追い越したのは、この連隊だったと記事にあったように記憶してます。
SAW