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日本では山城が数多く作られましたが、雑誌のイラストなどを見ると天守の周りを樹木が茂っているものとか、丸裸のものとかがあります。実際のところはどうだったのですか? 富士通BIBLO |
- いわゆる天守閣が現れたのは戦国時代、それも信長などが勢力争いやっていた頃であり、それまでは精々、櫓程度しかありませんでした。
で、古代から中世に至るまでの城の多くは、山を防御拠点として活用したものであり、安土桃山の頃に出てきた平山城や平城と対比して山城と呼ばれたりしますが、地域や時代によってその形状などはかなり異なります。石垣なんてほとんど無い、立て篭もるための小屋がある程度という、簡単な造りの山城がたくさんあります。
アリエフ
- 中世以降の山城の遺構については、全国で5000以上あるのではないかと言われています。規模については村落・あるいは村落領主の小規模なものから、守護大名、戦国大名の大規模なものまで色々とあります。基本的には、アリエフさんの
言ったような規模のものが大半です。
どのような土木工事がされていたかというと、
1.山頂・尾根などに平地を造成(郭)し木柵で囲む。
(小規模なものだとこれと空堀を設ける程度)
2.郭の周囲の斜面を削り急傾斜にする(切岸)。
(戦国期だと石垣を築いたものもある)
3.城への進入路、郭の周囲に空堀を設ける。
4.切岸、空堀の土木ででた土を郭の周囲に積み上げ土塁を作る。
5.井戸、池などを作り水の手を確保する。
大体、こんな所です。地形はなるべく生かしておきます。
建築については、軍事的な緊張が高い時代には居住を考慮していますが、質素で
実用的な建築である事が普通です。後は物見とか烽火台、鎮守神の社、櫓、城門
は作られていたでしょう。通常、城主は麓屋敷にすんでいますから。
いざ籠城の時には、周囲の木を切り倒し逆茂木(枝を敵側に向ける、一種の
バリケード)を植え、臨時の小屋を建て増員に備え、空堀、郭の増設を行い
城郭を補強するなどして備えました。
村落レベルの小城郭については、戦乱に伴う略奪・人さらい(人買いに売るんです)に対する避難の為に作られたものが多いようです。あと、他の村との紛争用
に使っていますね。
昔不沈艦
- 2.の建築については、概ね戦国期の事です。(補足)
昔不沈艦
- 江戸時代の山城としては、大和高取藩の高取城が有ります。
http://www.mahoroba.ne.jp/~nakamoto/takatori/siro.htm
http://pine.zero.ad.jp/funaku/3-5takatori.htm
数年前に行きましたが、やっぱり山の中と言う感じでした。
roht
- 城(あるいは砦)の近くの樹木は、城からの見通しを悪くし、寄せ手に遮蔽物を与え、場合によっては、外部から城内をのぞき込める場所を与えかねないなど、城側に不利な点しかありません。したがって戦時の山城の近傍は原則としてはげ山状態だったと考えられます。
ただし、山城近くを常にはげ山状態にしておくには手がかかります。昔不沈艦さんがお書きになっているように、戦闘が予想される時に、城近くの樹木を伐採すれば、城の補修や野戦築城、場合によっては燃料(生木はあまりよい燃料ではありませんが、簡単に大量入手でき輸送コストが低い)など様々な利用が可能な資源となります。
したがって、常に充分に手入れされ周りの樹木を伐採している戦国大名の本拠地となるような山城、通常は使用されず樹木が茂っているが戦闘準備時には樹木が伐採される山城、戦闘時に樹木を伐採しようとしたが間に合わず樹木があるまま戦闘を強いられる山城、など、さまざまな場合があったのではないでしょうか。
また昔不沈艦さんも触れておられる百姓の逃げ城(砦)などの小城郭 では、場所を隠すため(あるいは周辺の伐採をおこなうだけの充分な人でがないため)に、周囲の樹木を伐採しない場合もあったかも知れません。
カンタニヤック
- 回答いただき恐縮であります。多くのご意見に接しとても参考になりました。樹を戦況に応じて合理的に切り出していたことは初めて知りました。今後も宜しく願います。更にご意見ありましたら追記ください。
富士通BIBLO