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682 零戦21型の写真で有名なラバウル空襲時の瑞鶴111号機(EII-111)の搭乗員が誰なのか教えてください。
あっしぃー

  1. 瑞鶴戦闘機隊先任分隊長の岡嶋清熊大尉(海兵63期)乗機だったんじゃないでしょうか。

    土屋二飛曹

  2. 失礼しました。同じ17年1月の写真を見ると、21日のラエ特別空襲隊の戦闘機隊指揮官(次席分隊長  牧野正敏大尉
    )の機番がEII−141で、尾翼に白帯1本があります。ところがEII−111には尾翼に白帯が見られません。従って、この機の搭乗員は小隊の2番機もしくは3番機と思われ、分隊長機ではないと思われます。
    岡嶋大尉機でないかと申し上げたこと、取り消させていただきます。申し訳ありませんでした。

    土屋二飛曹

  3.  軽はずみな書き込みをした手前、責任を感じて調べてみましたが・・・

     モデルアート社の1991年10月号臨時増刊『真珠湾攻撃隊』9頁からの「真珠湾攻撃参加機の塗装とマーキング」(考証/押尾一彦、作図/野原茂)によりますと、EII-111は「搭乗員名不詳」となっております。
     押尾さんの考証によっても不詳となると、簡単にはわからないと思います。

     なお、参考にならないと思いますが、機番号と氏名が一致しているのは

     佐藤大尉−EII-137,牧野大尉−EII-141,中田二飛曹−EII-173,松本一飛−EII-175,塚本中尉−EII-140(小隊長),佃一飛曹−EII-145,岩本一飛曹−EII-102(小隊長)

    土屋二飛曹

  4.  ついでに、児玉飛曹長、牧野一飛曹(先任搭乗員)も小隊長ですので、候補からは除外されると思います。
     また、くだんの写真が1月21日のラエ特別空襲隊の発艦時の写真だとすると、9機中5機の機番号は判明していますから、残りは4名のうちの誰かということになるのですが、さて?

    土屋二飛曹

  5. >土屋二飛曹様

    丁寧な回答とお時間を裂いてわざわざお調べくださり、ありがとうございます。
    例え、「EII-111」の搭乗者が誰か分らなかったとしても、
    私の持つ書籍では調べても分らない範疇のことが知れたので大変感謝しております。

    あと残された道は当時の部隊編成表や出撃搭乗員割り振りとかなんでしょうね?(でも、このあたりはなかなか一般の目には触れないですよね、、、)
    そこから予想で割り出す感じでしょうか。
    しかし、1月21日の出撃で搭乗員の変更などがあった場合、謎が謎のままになってしまうのですね。

    ともかく、ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
    あっしぃー

  6.  たぶん、どなたもご覧になってないとは思いますが、その後自分なりに調べたことを少し。

     渡辺洋二さんの写真集「闘う零戦」(私は買ってません。書店で立ち読み)を見ると、EII-111が写ったこの写真は17年1月20日と断定されています。
     そこで、1月20日(ラバウル空襲初日)の瑞鶴戦闘機隊の行動を公式資料で見てみると、この日は瑞鶴の零戦は制空隊としては飛行記録がなく、機動部隊上空の警戒のみです。
     1000(以下、日本時間)〜1300第1直(岡嶋大尉、小見山賢太二飛曹(乙飛7)、藤井一飛(操練54))、1300〜1415第2直(清末銀治一飛曹(甲飛2)、黒木実徳三飛曹(操練42)、倉田信高一飛(操練54))となってますので、岡嶋大尉を除く5人が候補者ということになります。

     でも、私は1月21日のラエ特別空襲隊の発艦風景である可能性も否定できないと、個人的には考えています。その場合の編成は以下のとおりです。

      制空隊 1小隊(牧野大尉、中田二飛曹、松本一飛)、2小隊(岩本一飛曹、伊藤一飛曹)、護衛隊 1小隊(塚本中尉、佃一飛曹)、2小隊(牧野一飛曹、坂井田二飛曹)

     この場合には、候補者は伊藤一飛曹か坂井田二飛曹に絞られてくるのではないでしょうか。

    土屋二飛曹

  7.  あれ?
     瑞鶴の行動調書に1月20日の制空隊のものがなかったと思いましたが、戦史叢書にはラバウル攻撃隊は4艦から109機で、うち瑞鶴からは艦爆19機、戦闘機6機になってますね。

     行動調書を見落としたのかな。
    土屋二飛曹


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