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つまらない質問ですみません。 昭和二十年八月六日、あの広島に原爆を落とした エノラ・ゲイについてなのですが。 彼らが広島に向かう途中、四国付近の上空にて日本軍機の追尾を受けたとあります。 単機でしばらく追尾してきて、高度を上げて高速を出した所、ようやく振り切れたと の事です。 一体、その辺りは、陸・海どの基地があったのか、機種は何だったのか、 また、誰だったのか文献等は残されていないのでしょうか。 はにまる |
- 参考になれば・・・
所蔵する書籍で爆撃行についてかなり詳しいRuin From the Air(邦題=エノラ・ゲイ)には、
それについては触れられていない。
しかしNHK広島の原爆取材班が1990年に著した
B29エノラ・ゲイ 原爆搭載機「射程内ニ在り」 には記述がある。
先行した気象観測機ストレート・フラッシュから「第一目標を爆撃せよ」という
入電があった直後、四国上空にさしかかったところで西から日本軍機が飛来、
というレーダー担当のビーザーの証言を取り上げている。
日本軍機が照準をつけて執拗に追ってくるのを搭乗員に告げたとある。
危険を察知して不安になったという。やがて発砲するのが見えたが、
爆撃高度の3万ftに上げたため、日本軍戦闘機は追跡も射撃もできなくなったとある。
時刻は午前7時30分から45分のようだ。
戦闘機の追跡はエノラ・ゲイが中国地方の内陸に入ったところまで続いたとある。
僚機の91号機とグレート・アーティストがこの危機でどう立ちまわったかは不明。
実はエノラ・ゲイの広島進入経路には説が複数あって・・・
●紀伊水道南方から四国斜め縦断●豊後水道から北上
●福山方面から西進●瀬戸内海から呉上空を通って南東からの進入・・・
時刻の整合性とか、考えると謎もあるのですよ。
戦史研究家の中には、エノラ・ゲイが広島上空を通過、Uターンのおとり飛行をやった
とまで書く人(かなりマジメ)もいるのです。
確かにNHK取材班が掴んでいる事実と、たとえば原爆資料館の進入図は矛盾する・・・「西条上空を西進」と「呉上空を北西進」は両立しないし・・・
このテーマはさらに検証の価値ありかも?・・・です。
sinn
- 記憶モードで申し訳ありません。30年位前になりますが、「丸」のような雑誌で読んだ記憶があります。私は広島出身なのですが、当時、作文に「もしエノラゲイを落としていたら…」と書いた覚えが有ります。機種はよく覚えていないのですが、キ-45改かキ-102のような気がします。実弾は積んでいなかったか、機銃の故障かで途中であきらめたのだと思います。パイロットは後で非常に悔やんでいた様でした。あやふやな記憶でごめんなさい。
叔父はキ67搭乗員
- 詳しいご回答有難うございます。
エノラゲイの進入ルートには未だ諸説があるなんて知りませんでした。
当然、記録が明確に残されているものだと思っていました。
追撃した戦闘機は陸軍機だったのですね。高高度に弱く、機銃の調子も悪いなんて、
日本軍機にとっては相変わらずなのでしょうけど、この時も日本の空を守れなかったの
ですね。
はにまる
- 追記・・・今年になって、当時の交信記録をまとめた本が、広島で(自費?)出版されたそうです。未公開写真なども掲載されている・・・とか?
この正確な飛行記録が分れば、日本側の記録と参照できるかもしれません。
ともあれ・・・
海の向こうではまだENOLA GAY機長のティベッツ氏が存命。
1915(大正4)年生まれの彼は、齢30にして原爆攻撃の現場責任者、
そして攻撃機機長という重責を果たしたことになります。
87歳の氏が、飛行ルートの謎とか、遺言のようなカタチでも後世に残さないものだろおうかと、私は密かに注目しています。しかし・・
こと広島核攻撃に関しては、ホンネとタテマエと守秘義務を、重厚な1枚壁に塗りこめている氏だから・・・(いや、たいていの退役軍人はそうでしょうけど・・)
sinn