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ある砲兵連隊が後退に移る際、別の歩兵連隊(上級司令部は共通)が 後退の援護にあたるため兵員を派遣するということは戦史上あったのでしょうか? マクリヌス |
- 同じ師団に所属するわけだから、師団司令部の命令により臨機応変に歩兵連隊の全部又は一部が砲兵連隊の支援に当たるのが普通だと思いますけど。
所属する師団が異なっていても、師団内の他の部隊からはぐれたりした連隊等の部隊を一緒にして統一した指揮下に置くなんてことは当たり前に行われていますし。ところで、兵員の派遣というのは、歩兵連隊の一部の兵力又は部隊を砲兵連隊に編入させるという意味でしょうか?それとも所属は歩兵連隊のまま、本隊と分離させて砲兵連隊の撤退支援活動に当たらせるという意味でしょうか?
アリエフ
- 第二次大戦の頃、砲兵連隊の主力兵器であった榴弾砲の射程は、大雑把に言って8キロから10キロと言ったところです。ですから、砲兵連隊は歩兵の作る前線よりかなり後方にいて、整然と撤退するときは歩兵部隊より先に(安全に)移動します。戦線が崩壊したとき、駆けつけた歩兵部隊と敗走する砲兵部隊が交錯することは当然あったでしょうが、おそらくご質問の趣旨はそういうことではないのでしょうね。
マジノ線のような要塞地帯では、砲兵と歩兵が最初から交じり合って布陣することになります。マジノ線の場合、砲兵連隊と歩兵連隊が要塞師団の指揮を受けていて、小口径砲や機関銃は原則として歩兵、大口径砲は砲兵が運用していました。戦車の砲塔を埋めるなどした急ごしらえの陣地は別として、永久陣地にはもっぱら歩兵が守る陣地と、砲兵と歩兵の両方が配置された陣地があったようです。
ドイツの砲兵連隊しか詳しいことは知りませんが、その場合最低限の自衛戦闘のため、軽機関銃が相当数配置されていることも申し添えておきます。前線近くに配置される対戦車砲の場合、もっぱら軽機関銃を構えてあたりに気を配る兵士が1門にひとりくらいの割でいたようですが、砲兵連隊の榴弾砲クラスについては存じません。軽機関銃の整備責任者は置かないわけには行きませんから、主にこの兵士、ということは少なくともあったでしょうが。
マイソフ
- 砲兵部隊は自衛力がほとんどないので、歩兵ないしそれに代る近接戰闘用の援護をつけないと敵部隊に襲撃された場合、あっというまに壊滅してしまうほどヨワヨワです。榴散弾の零距離射撃という手も指呼の間に迫られるとききません。
それで、砲兵を含む諸兵種混成の團隊指揮官は、かならず砲兵に援護をつけるように処置するのが普通です。それが無い場合は砲兵隊長がそれを要請してくるはずです。あるいは誰かが意見具申して、そう処置をするよう指揮官に迫るはずです。日露戰闘の時に、指揮官が援護をつけなかったために配属砲兵隊が全滅し砲を敵に鹵獲されたことがあり、派遣元の親方の砲兵隊長が派遣先の指揮官に顔をあわすごとに詰寄って執拗に理由を糾し続けたと云う話があります。
援護歩兵は、別に上級司令部が共通でなくとも、手近の部隊をとりあえず援護につけることも臨機の処置として可であったと考えられます。また身近の部隊長が独断専行で部隊の一部を砲兵援護に差し向けることも多々あった模様です。
これは一般の野砲兵の話で、前線より遥か後方にある軍直砲兵や攻城などの特殊砲兵は、また別の話です。また戦況錯綜ないし敗走壊走状態では、そういう顧慮を払う余地がないので、砲兵単独後退も見られます。
あるめ