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事実上の便乗質問を失礼します。オハ油田の話が下で出ていますが、大慶油田を「覇者の戦塵」で取り上げられているように、1930年代初頭に開発するということは、当時の技術で可能なことだったのでしょうか。また大慶油田の産油量や質は、「覇者の戦塵」で書かれているような大影響を与えるだけの規模なのでしょうか。産油量は本当らしいのですが、当時の技術で採掘可能なものなのかとか、質が分かりません。どうか、よろしくお願いします。 山家 |
- 採掘可能です。量的にも南方進出をする必要がないほどです。
しかし、原油の性質が重質なため、ハイオクタンの航空燃料を
大量に製造するには、技術も設備もないので、米国の「助力」
が必要です。
間借り人
- 間借り人さま、どうもありがとうございます。私は、その方面には素人なので、当時の技術で採掘可能かとか(以前、どこかの雑誌記事だったと思いますが、独伊がリビアの油田に気づいていても、当時の技術では大部分が採掘不可能で意味が無かったと読みましたが、その説明が理解できませんでした)、質の問題点が、よく分かりませんでした。重質なので、オクタン価の高いガソリンの製造は、当時の日本では技術的に困難で、例えば、航空用の87オクタンガソリンの製造は困難であるが、逆に艦船等に用いられる重油製造には向くという理解でよろしいでしょうか。たびたびの質問になりますが、よろしくお願いします。
山家
- 当時、採掘の技術的問題点はボーリングの深度であります。
大慶油田の深度はごく普通のレベルで問題がありません。
大慶油田を日本側が発見できなかったのは、現地の事前調査
の不足、治安の悪さ、そしてこのレベルの深度を掘るボーリ
ング機械が満州になかった事と共に、石油発見に対する熱意
の不足です。
石油危機の時、大慶油田の原油を輸入する事になりましたが、
ガソリンを得るのに現状のままの精製設備では難しいと言う
新聞記事を読んだ記憶があります。重油の質がどのレベルな
のか、今は会社に居るため分かりませんが、図書館に行けば
答えは簡単にあります。
なお、私もタダの物好きな素人です。
間借り人
- あの〜
確かに
大慶油田は中国が手作業(大げさですけど)で採掘したぐらいですから
場所がわかっていれば開発自体は簡単でしょう。
しかし
世界に誇る満鉄調査部が満洲全土を調査したけど
石油は見つけることはできなかった事実をどうしますか?
まあ
撫順炭鉱で油母頁岩が見つかって
それを精製することはしていますけど
その他にも
満洲帝国建国のあとも
満鉄以外に陸軍なども
石油を捜索していますけど見つけられませんでした。
これを無視する訳にはいかないでしょう。
大慶油田について云えば
技術の有り無しの前の段階だと思います。
発見されていなかったのだから掘れません。
あきんど
- >4
その点は大丈夫。我々の歴史を知っているとしか思えない謎の僧から場所を教えてもらっています。
井中かえる
- 現地の資料にある「油徴地」の記載を見落としています。
実に単純なミスです。
台湾での日石の試掘からすれば、満州での試掘などレベル
が違います。
間借り人
- どうも、いろいろと詳しく回答していただき、ありがとうございます。半分ゴミ話になりかねませんが。何かで、満州事変以前に米国の石油会社が満州一帯の調査を既に行っており、その際、満州に油田が存在することはほぼありえない、という調査結果だったため、満鉄等は満州での油田をそれ程熱心に探さず、他の資源の調査を優先したというのを読んだ覚えがあります。ただ、「覇者の戦塵」の中にも似た話が出てくるので、記憶がごた混ぜになっているかもしれません。
山家
- ごみレス。
1.>どこかの博物館で原油サンプルを見たことがあったのですが、重質というか粘土のように固く、容器をひっくり返しても落ちてこないくらいでした。
ウェムラ