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樺太・千島交換条約は現在的視点から見て正しい選択肢だったのでしょうか、それとももっと良い選択肢があったのでしょうか? ラッキー |
- 樺太を交換しなくても1945年8月にどっちみち占領されたと思います。
ロシアよ早く千島列島を全島返還せよ!
6空
- もし史実とは逆に、樺太全部を日本領に南千島(国後、択捉、歯舞、色丹)を含む千島列島全部をロシア領にするとしたらロシアは応じただろうか?ウラジオから宗谷海峡を通ってカムチャッカや千島列島に通じる航路が、有事には危機に曝されることになる。
日露間で境界線を明確に定めなかった樺太で、両国民間の紛争が生じたのが、この条約が締結された原因だが、そのままにしておくと満州だけでなくこの方面にも紛争防止のための兵力を振り向けざるを得ない。両国とも無用な衝突は避けたいのであり、この条約が結ばれたのは歴史的必然では。
なお、日露戦争のときの賠償で日本は南樺太を取ってますよね。
アリエフ
- それよりも、ポーツマスで南樺太を割譲するのではなく千島樺太再交換の上南千島を割譲させてロシア側の面子を立て、北樺太の油田を確保する訳には。
LettleNemo
- 以前書きましたが、
ソ連成立の際、北樺太売却の話が持ち上がってます。
日本は1億円(当時)なら、と言い
ソ連は10億で、ということで
商談不成立でした。
勝井
- (上の回答の補足)
1875年の樺太千島交換条約以前にも樺太を北緯50度の線で両国が分割する案が日本から提案されている。しかし樺太全域領有を希望するロシアが応じず、このため樺太で境界線を定めなかった。とにかくロシアは樺太がほしかったわけで、日本にとっても北千島より樺太全域が魅力だったが、まだ未熟な国力・軍事力を考えると樺太・千島交換条約を締結して北方の紛争の種を取り除かざるを得なかったということだろう。
次に、ポーツマス条約に関して、この条約の主な内容は次の通りである。
1 ロシアは日本が韓国における最高の政治的、軍事的、経済的利益を有することを認める
2 ロシアは遼東半島以外の満州を中国に返還する
3 ロシアは、日本が遼東半島について中国からの租借権を有することを認める
4 ロシアは長春以南の鉄道(南満州鉄道)及び附属利権を日本に譲渡する
5 ロシアは北緯50度以南の樺太を日本に割譲する。樺太には両国とも軍事施設を設けない
6 日本はオホーツク海及びベーリング海で漁業権を有する
条約交渉の最初の要求では日本はもっと多くのことを要求しており樺太全域の割譲も入れているが、韓国や満州に関する要求(上記1〜4)を最優先した。一方、ロシアは樺太全域の保有と対日賠償拒否を最優先したのであり、日本が日露戦争末期に南樺太のコルサコフを占領し実効支配していたため、ロシアは渋々南樺太の割譲に応じたわけ。
戦争処理のための外交交渉は、「ここは我々が占領して実効支配しているのだから、ここから我軍が引き上げるならば代わりに別の要求を呑め」というように、双方がカードを見せあいながら少しずつ譲歩を図っていくもの。樺太全域割譲させるならば、北樺太まで占領など日本がもっと大勝してなければ無理。
アリエフ
- あの国から領土を分捕ったってだけでも、すごい快挙に思えます。>ポーツマス条約
それに、時のロシア皇帝も、あの段階では南樺太の割譲以上は認める意向は無かったそうです。
tomo
- 日露戦争の時に日本は樺太全島を占領していますけど
あきんど
- 樺太・千島交換条約で確かに樺太は放棄したわけですが
従来から日本が樺太に所有していた諸権益は相当分継続されて認められており
ロシア領になってからも漁業権は日本人が掌握しています。
上記条約の第五条によると
樺太の日本人住民は日本国籍保有のまま財産権と営業権を保証されています。
更に
コルサコフ港において10年間だけですが
日本国籍船舶は港税と海関税を免除されています。
ですから
実質的に問題はないんです
単に主権がロシアになっただけです。
ですから
日露戦争直前の1904年の段階で樺太の日本人人口は7千人もいます。
まあ
1883年ごろに
ロシアが漁業税を設定してからトラブルが発生しますけど
この条約は当時の日本とロシアの関係を考えると
それ程悪い条件じゃなかったと思います。
あきんど
- 1.樺太・千島交換条約以前においても日本領だった南千島を含め、全千島をロシアに譲渡(再交換に加え割譲)する
2.関東州の代替地として下北半島をロシアに提供する
どのようにすれば、ポーツマスで北樺太を獲得できるのでしょうか。
45年の敗戦後においても領有の正統性があるよう、お願いします。
(例えばマッカーサーが北樺太をソ連軍に占領させないよう、介入してくれる)
余。ポーツマスでの交渉に前後して北樺太は日本が占領しました。
LettleNemo
- 気になるのですが
北樺太をどうして欲しいのでしょうか?
しかも
本土の一部を割譲してまで欲しいとは
その意味がわかりかねます。
国防をお分かりか?
そもそも
パルプ資源や石炭・海産資源を考えると南樺太を確保することで十分です
凍った海の北樺太を確保しても意味は無く
領土が広がった分だけ開発経費がかかるだけで
メリットは全くないと思われます。
ちなみに
念のために言いますが
当時において石油は重要では御座いません。
あそれと
樺太・千島交換条約の前に
アメリカの助言として樺太買収案もありましたよ
しかし
国家財政的に買収は不可能ということ
それと
例え買収しても北海道と樺太の両島を開発することは国力的に無理
そのような形で中途半端にすると守りきれず
樺太だけでなく、北海道までロシアに奪われかねない
そのために
樺太の放棄を決めたわけです。
但し
その代わりに千島を確保することになったのです。
あきんど
- 樺太の領有権ですが
実際
北樺太は日露戦争や干渉戦争の時の一時的な占領以外は
日本の影響下にあったことは一度もありません。
日本の樺太進出は古く
南千島の択捉島よりずっと早いです。
江戸期における
但し
場所の設置等による樺太(当時は北蝦夷)開発も南樺太だけで
北樺太に探検隊が行っただけで
全く何の設備も設置してません。
本格的な開発は江戸末期からなんですけど
その時でも南樺太だけです。
ですから
ポーツマスで南樺太だけの割譲に決まったのは
歴史的に日本が北樺太を所有したことは
一度も無かったことも影響しているのではと
そもそも
ポーツマス条約の際の交渉では
元々樺太は日本の領土であり
それを返して欲しいという意味で割譲を請求したわけですから
日本が領有権を主張できたのは
南樺太までだったということではないでしょうか
そのような歴史的な経緯からすると
南樺太はまだしも
北樺太の領有を主張することは難しい思われます。
あきんど
- 歴史的経緯もあるかもしれないけど、日露戦争の末期において日本が北樺太にまで実効的支配と言えるほどの占領を行っていたか、そしてロシアがこの方面に軍隊を本格的に送りこんできても十分対抗できるだけの自信があったのか、という軍事力バランスによる要因もあるのでは?
両軍ともほとんど兵力を配置していない、あるにしても極少ない地域で、日本がそれほどの大軍とは言えない部隊を北樺太にまで送りこんでそこを「占領」したと言うことだろうと思いますが。
ちなみに私の見た本は、「南樺太占領、コルサコフ実効支配」とのように書いていたもので。
アリエフ
- 整理します。解りづらくてごめんなさい。
1.75年条約で交換した、樺太と(南千島を除く)千島を再び交換する。
2.関東州の代替地として、(75年条約以前においても日本領だった)
南千島を提供(向こうがそう要求するなら譲渡)。
3.更に必要ならば津軽乃至宗谷海峡にロシアの拠点を提供(但樺太側は不可)
米ソ間の戦後処理の交渉で
ソ「サハリンは05年に日本が不当に奪った」
米「割譲ではなく75年に交換したクリルとの再交換ではないか、
のみならず貴国(但帝政時代)は05年に日本に南クリルを割譲させ、
日本の海峡の拠点を租借しているではないか」
YPで樺太がソ連の勢力圏に置かれる約束になっても
75-05年間ロシアが領有していたが日本の領土であることが正統であると
米英や国際社会が判断するような枠組みが作られ、且全樺太が領土
であることにより石油関係者以外にもずっと多くの人々が移住していれば
樺太守備隊の頑張りでGHQの有利な裁定を獲得できる可能性があるし
ソ連軍が進駐しても移住民をより無下に扱いにくくなる(程度問題ですが)。
>国防をお分かりか?
南樺太の不凍港をロシアに寄こせ、というのなら私だって反対します。
若仮に、稚内を
或は渡島半島をロシアが拠点にしたら、樺太や北海道の軍民は干上がりますか?
ポーツマスの時点で
近い将来ロシアによって日本軍の制海権が破られることが考えられない以上
オホーツクの島拠で「そうとうの」譲歩をしても国防上不利にならず
北樺太の石油はこれらなど問題にならない国防の有利を齎すでしょう。
(稚内、渡島、下北及津軽の内ロシアに提供するのは南であるほど望ましい。
樺太は勿論北海道も敵国の拠点が無くすべての港が使えることが望ましい。
同じ拠点を作られるなら、国力の中心に近い本州の方が望ましい。
冬凍る宗谷海峡より凍らない津軽(下北)海峡の方が良いと勧めることもできる。
全てポーツマスの時点の話)
当時海外で行われていた石油動力化の研究や議論について軍がどう考えていたか、
或は石油資本の動向はどうかとかありますが、議論ボードに回したほうがいいですね。
あと「75年・05年各々の時点で樺太・千島を第三国に買収させる」という案も出てきました。
ありがとうございます。
LettleNemo
- >13 そもそも質問がおかしいんだけどさ、約一世紀も前の国際情勢の下で行われた外交交渉の結果について現在的視点から論ずるというのは、昔と今の国際関係や経済・産業の変化を全く無視した議論なんじゃない。
1870年代から20世紀初めの時点での極東の情勢、それに日本の対外戦略考えると、関東州と樺太とどちらが優先すべき問題だったのだろう?
議論ボードで与太話はしたくないんだよな。
アリエフ
- そんで樺太千島交換条約で北樺太まで取っておきゃマンセー!太平洋戦争では関東軍の戦力を樺太に回して粘ろう、っていうことかね?仮想戦記書きたいんならどうぞご勝手に。
アリエフ
- 単に樺太油田が欲しいだけなんだと思うんですが
あきんど
- 参考と致しまして。
日露戦争時の樺太作戦について書きますと
樺太攻略作戦は新設の第13師団が担当しています。
部隊は1905年5月1日から弘前と敦賀に集結を開始
まず、先遣部隊として第26旅団が南樺太に進撃します。
南部樺太攻略軍は、7月7日には女麗より上陸
同8日にはコルサコフ(大泊)より上陸
同日確実にコルサコフを占領し、ソロウィヨフカ(貝塚)砲台をも陥れる。
10日にはロシア軍部隊を撃壤してウラヂミロフカ(豊原)を占領
11日から12日に密林に拠り頑強に抵抗する露軍へ攻撃を行いこれを撃滅
続いて
主力部隊の第13師団主力も24日にアレキサンドロスに上陸
これを占領する。
その後、部隊は内陸部に進撃
内陸都市ルイコフにおいてロシア軍守備隊は降伏文書に調印をする。
31日に、樺太全島を制圧しています。
あきんど
- フィッシャー提督が軍令部総長に就任したのが前年(04年)
英海軍が石油備蓄基地を作ったのが更にその前年(03年)なので
海軍に着眼があれば、例えば私の提案した線で交渉するよう、全権に要請したと思います。
海千山千のウィッテが応じるかという問題がありますが、私は何とかなると思います。あと
第三国に買収させるという裏技は、もっと突っ込んで考えるといいかもしれない。
LettleNemo
- 皆様、北樺太(オハ油田)の原油採掘量をご存知ですか?
分ればまた別の見方も出てきます。
間借り人
- 北樺太のオハ油田が発見されたのは日露戦争後の話であり、実際に稼働したのは第一次大戦後の事。
ポーツマス会議の時に海軍側に夢物語を説いて聞かせたとして、承諾するとは思えませんね。
↓参考までに
http://216.239.35.100/search?q=cache:GrJwyaw3ek4C:www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/workingpapers/WP87/honbun.doc+%83I%83n%96%FB%93c&hl=ja
桜井家の客人
- やっばりそうでしたか
樺太油田の本格的採掘は1920前後というのは記憶にあったんですが
はっきりした記憶じゃなかったのもので
しかし
1号油田の採掘は1909年ですけど
油田の存在自体はもう少し前だったと
確か
19世紀末ごろには見つかっていたと思いますけど
まあ
いずれにしても
ポーツマスの時点では
油田の存在は認知されていたものではありませんけどね
あきんど
- ↑ 下のリンクを辿って記事の内容を見ると、石油の露頂が見つかったのが1880年で、まともに
試掘に成功したのが1909年ですね。一応1905年には油田の存在は知られており、その後日本の国策会社である
北樺太石油による採掘も行われたが、ソ連の要求で採掘権を返上したともあります。
さて、ポーツマス時点で一応存在するけど規模が分からない油田に対して、国土を割譲するというのを
果たして政府や国民が納得できるか(笑)。
↓参考までに
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news02.asp?c=5&kiji=302
桜井家の客人
- そもそもの根本的な問題点として国力と必要性の観点が根本的に間違ってます。
一応ですね、日本が日露戦争後に計画し取得した主要水上戦闘艦は程度の差こそあれ重油に対応しています。
ですが、重油対応艦(というか重油で発生させる馬力)が主流になるのは、軍縮条約で旧世代艦艇が大量パージされる時を待たねばなりませんでした。
これは20世紀初頭において、弩級艦、巡洋戦艦、軽巡洋艦といった、まったくの新世代艦艇を大量に送り出す事のできた英国とは条件が根本的に異なるのです。
確かに英国の重油確保に対する行動は見事なのですが、別の観点から見た場合、英国は確保した重油を大量消費することが可能な海軍を作る能力があったのです。
英国は重油を消費する最新鋭大規模艦隊を建設するアテがあるから重油を確保したとも言えるでしょう。
日露戦争時の日本海軍にはそんなアテはありません。
幸か不幸か戦前保有艦艇の殆どが生き残り、緊急に購入建造した艦艇が大量にあり、更に捕獲艦も大量にと、従来型の艦艇が国力に比しても異常なほどの量で存在したのです。これらの艦に重油対応改造をする費用ですら凄まじい規模になったでしょう。
日露戦争後の新世代艦艇の比率は、第一次大戦勃発までの10年かかっても1割か2割にしか達していませんでした。これが日本の国力なのです。
このような国力の海軍が樺太油田に大きなアクションをするでしょうか?
SUDO
- オハ油田、その実体に対しかなり過大評価されている
所があります。
採油量、原油の性状、冬季間の積み出し不能を考える
と仮想戦記の題材とはなりえません。
ある方がその著書の中でオハ油田に関して勘違いなさ
れているのを読んだことがあります。これなども、そ
もそも石油についての理解が充分でないために、起こ
ってしまうのではないかと考えています。もしよろし
ければ、私と一緒に石油について勉強しましょう。
「座敷牢」はいつでもお待ちしております。
間借り人
- 23> 説明不足でしたが、「北樺太の石油が齎す国防の有利」として
外資を誘致することで米英との繋りを強化できる
優れた輸出財であり外貨を稼げる も、想定しています。
重油専焼はそれを前提に設計された高圧ボイラーを備えた新世代鑑でなければ意味が無いと思っていましたが。
「露がたとえ少数でも新世代艦を配備すれば、従来艦ばかりの日本海軍は対抗出来ない」
という突っ込みを、想定していたのですが。
当時の海軍人は20年たっても既に就役している従来型の艦艇が主力になると考えていた、そう考えておられるのですか。
24>すぐにとはいえませんが、いずれお伺いします。
皆様>私の穴だらけの質問に丁寧に答えてくださって、感謝しています。ありがとうございます。
littleNemo