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どこで質問すべきか、迷ったのですが。もし場違いだったら、すいません。19世紀末、独が米本土に上陸作戦を計画したそうですが、当時の米陸海軍は、そんなに弱体だったのでしょうか。手元に資料が無く、記憶頼みなので大間違いかもしれませんが、日本海海戦の勝利を誇っていた大日本帝国海軍に大衝撃を与えた米国の大白色艦隊の日本寄港は19世紀末で、米海軍は当時世界でも有数の勢力を持っていたような印象があったので、疑問を持ちました。確かにWWI開戦当時、独海軍は世界第2位の規模だったように思いますが、米本土への侵攻軍の海上補給路を安全に確保できるだけの優位を当時誇っていたのでしょうか。長い質問で、すいません。 山家 |
- 手元にある資料を見たら、大白色艦隊の寄港は1908年の誤りでした。どうもすいません。
山家
- 19世紀末に発生した米西戦争について調べてみたが、下のサイトによると、米海軍はキューバを153隻の船で封鎖したとある。この153隻の構成まではわからないが。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh1818/chronology/cuba/~1898.html
ただドイツの対米戦略策定において、米西戦争で敗北するまでは中米や太平洋で米国と覇を競い合っていたスペインの状況を参考にしていたのではないか?。キューバでの反乱兵や伝染病による被害のため、スペインは20万人近くの軍隊を送りこんだものの敗北してしまうわけだが、開戦前はスペインは米国に対し相当の自身を持っていたのだろうから、独皇帝も同様に考えていたのかもしれない。
キューバと違い米本土なら伝染病の危険も少ない、当時のアメリカの常備軍(陸軍)は取るに足らない規模で、有事となったら徴兵制で20万人程度の戦力を集められるが彼らは十分訓練されていない、艦隊による奇襲上陸作戦は可能だと独皇帝は考えていたのではないでしょうか。
アリエフ
- さすがヴィルヘルム2世、と感心して『どっち』に話題たてたあと読んだ新聞記事には、
(前略)作戦を立てたドイツ海軍当局者は、米国と開戦した場合、海上封鎖や艦隊決戦よりも本土に上陸して戦う方が効果的と判断。(中略)ドイツ軍首脳は長距離の渡洋攻撃には懐疑的だったが、皇帝の意向を尊重し作戦策定を進めたという。(後略)[産経}
(前略)また、モンロー主義(孤立主義)を取る米国の海軍は「士気が高くない」とみた独海軍は1896年、艦船60隻、兵員10万人による米国攻撃計画を立案。しかし、この計画は輸送能力の不足で頓挫。
1903年に再び浮上したが、米国がモンロー主義を捨て、海軍増強に走ったため実現せずに終わったという。(了)[時事通信社]
と、いったものがありました。
バツ
- アリエフさま、バツさま、どうもありがとうございました。
山家
- 時代はやや下って20世紀初頭になりますが、アメリカ側の対独戦プランについては、
http://carlisle-www.army.mil/usassi/ssipubs/pubs98/jtwarpln/jtwarpln.pdf
に、
Joint U.S.Army-Navy War Planning on the Eve of the First World War:Its Origins and Its Legacy
という論文に記事があります(pdfファイル)。
カンタニヤック