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先日友人と内戦のことについて議論していたときに「関が原の合戦」は日本史上 最大の内戦だという意見がでました。しかし、関が原の合戦では参加した兵力の 人数こそ20万〜30万というものでしたがその割には死傷者は多くない(実際に調べたわけではないので正確ではありません)ように思えます。 そう伝えたところ「じゃあ、日本史上最大の内戦は?」と聞かれ困ってしまいました 日本の歴史上最も激しく死傷率の高かった内戦はどの戦だったのでしょうか? オブリガード |
- そもそも内戦(国内戦争)と合戦(一会戦)を同じものとするところから間違っていると思いますが?
「内戦」なら応仁の乱かな?波及した戦いや国内の荒廃も含めて。
日本史は苦手なので間違っていると思いますが。
Jabo
- 内戦の定義が良くわからないのもさることながら、参加兵力、死傷者とも、記録が当てにならないことがしばしばありますから、死傷率を比べるのは無理があると思います。
あえてあげれば、被害が大きそうな内戦は、応仁の乱のほかは、鎌倉滅亡から南北朝合一までの兵乱でしょうか?
もっとも、どちらも、母数となる参加総兵力のカウントがほとんど不可能かと。
をぐに
- 日本の歴史上最も激しく死傷率の高かった戦(いくさ)・・
ならば・・・
田原坂!・・・すくなくとも土地の古老はそう信じています。
「空中かちあい弾」なんて・・・ネ?
sinn
- 取りあえず、参戦人数10万人以上の戦争で思いついたものをあげときます。
壬申の乱推定動員数30万、日本全国に動員をかけたと推定(この推定はおそらく正しい)、日本の人口を約600万と推定し(ある程度根拠はあるが、奈良時代の数字なのでもう少し少ないか)、律令制の規定により二十人に一人が動員され(このあたりはかなりあやしい)たとしての数字、前線で戦ったのはこの数の半分足らずだろう。
承久の変、鎌倉方19万、上皇方2万数千だそうだが、あまり信頼できそうもない数字。
大坂の陣30万、徳川方20万、大坂方がかき集めた兵力が10万。
島原の乱20万弱、幕府方十数万、一揆勢2万数千。
西南戦争10万、政府軍6万弱、薩摩軍4万強。
治承・寿永の乱や、元弘の乱から南北朝の動乱、応仁の乱など、タイムスパンの長い内乱は、人数をどう考えていいかわからないので除きました。
このほか、秀吉の、小牧の陣、九州の陣、対北条戦争などはいずれも10万人以上が参戦していますね。
死亡者数で考えると、大坂の陣や島原の乱あたりがトップを争うことになるのでしょうか。
カンタニャック
- 死亡者の数でいうと、織田信長による一向一揆掃討(長島攻めや越前一向一揆掃討)も大きいです。とくに後者は3〜4万とか5万とか聞いてますので、最大クラスかと。
をぐに
- 近現代の戦争において動員人数がいいかげんな戦いは多いと思いますが私の担任
(日本史が好き)に聞いたところでは西南戦争ではないかと言われました。
この戦いでは官軍5万数千と西郷軍4万がぶつかり合い激烈な戦いが行われた
そうです。この戦闘による死傷者があまりに多かったために官軍は後に警官隊を
戦時編成し即席の兵力として5000人を送り込んだということです。
またこの警官隊は会津出身の者が多く戊辰戦争の怨恨からか戦いはよりいっそう
苛烈なものになったといわれています。
一日に5万発を超える銃弾が消費されたそうで当時の日本が1日に生産していた
銃弾が1万発ということですから官軍だけでみてもすさまじいというほかありませんね。
はじめてのミリタリー
- >5
確かに、長島は3万人程度の一揆勢がほぼ全滅ですね。
越前は信長公記によれば死者と捕虜あわせて3〜4万人だったかと。その後の掃討作戦や、加賀南部での作戦の分をあわせればまだ増えるのでしょうが。
カンタニャック
- >6
西南戦争は政府軍が約6万で死傷者約1万6千、薩軍は約4万?で死傷者約1万5千?です。
政府軍の方は陸軍の公式記録です。
忘れてましたが、1つの合戦での死傷率の高さなら「川中島の戦い」があります。文書によるんですが、死亡率はだいたい20%、死傷率は60〜80%になります。問題はそれらの数字を「鵜呑みしてよいか」というところです。
をぐに