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はじめましてEVITAと申します。どうかよろしくお願いします。 軍事史から離れてしまって恐縮ですが、日本の国際連盟脱退について疑問がありまして書き込ませていただきました。 1933年(昭和8年)2月24日、ジュネーブでの国際連盟臨時総会は、満州事変についての連盟の調査報告書を、42票対1票(日本)棄権1票の圧倒的多数で採択した。松岡洋右代表は直ちに報告書反対の声明を読み上げたあと、代表部委員らとともに退場、日本は3月27日、正式に連盟脱退を通告した。 賛成42票で反対1票が日本だけだったのは有名ですが、「棄権1」はどこの国だったのでしょうか? ホントにどうでもいいことかもしれませんが、どうか教えていただければ幸いです。(できれば棄権した理由も…) EVITA |
- 棄権の一票はシャム、後のタイです。
理由については推測なのですが、東南アジア唯一の独立国であるこの国はフランス、イギリスと不平等条約を締結しており、領土を割譲されるなどの経緯から棄権票を投じたのだと思います。
12式戦爆
- >1
シャムが棄権票を投じた理由の部分の文章がどうもよくわかりません。不平等条約を課されたり、領土を奪われたりしたので欧米に恨みを抱いていたから、と言うことを書かれているのでしょうか?
ただ、私の認識ではシャムは欧米に立ち向かう日本に共感したのではなく、ただ地理の上で日本の圧力を受ける場にあったので曖昧な態度を取らざるを得なかっただけではないかと思います。
井中かえる
- タイ(シャム)が棄権したのは、当時重要な貿易相手国だった日本との関係を
悪化させたくない、というタイ独自の判断と思います。
タイは比較的親日的な国だったようですが、歴史的に親英勢力も根強いため、
日本もなかなか親密な外交上の協力体勢をすすめることができませんでした。
後に日本が大東亜戦争開始時のマレー作戦を行うに際しては、英国に情報が
もれるのをおそれて、日本軍のタイ領内通過協定の協議を12月7日に設定
した程です。それでも結局、協定成立が遅れ、タイ軍と日本軍で戦闘も起きて
います。
シュウスイ