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第二次大戦中にバチカン市国はドイツ・イタリアに協力(カトリック総本山の情報力を使いユダヤ人の居場所などの情報提供)を していたそうですが、戦後、連合国からなにか、お咎めをもらわなかったのでしょうか? イタリア王室は、国外退去になったそうですが・・・ アンスコッチ |
- 一般的な議論になりますが、そもそもカトリックのヒエラルキーの頂点のローマ教会やローマ教皇をどうこうするのは政治的には利少なく害多いこととなるでしょう。そもそも世俗的な権力も持っていないので、戦争責任とかは問いにくいですし、イタリアはユダヤ人に対する迫害も比較的かるかったようですし。学問的には次の代の教皇になったら色々でてくるとはおもうのですが。
いおーじま
- カトリック教徒も決して少なくない連合国がバチカンを叩いたら、連合国内部でも大変なことになる。また、各国からの情報が集まる場所として、連合国も情報収集や外交工作に利用していたのでは。戦後、東欧方面の情報収集拠点としてCIA等の西側情報機関が利用していたともいうし。
アリエフ
- 当時の欧州人の一般的な感情としては、実力行使こそしないものの、ユダヤ人なんかいなきゃいいのにといったところでしょうか。戦後になって、パレスチナに厄介払いしたようにも思えるのですが、このような見方は危険に過ぎるでしょうか。終戦後も大勢のユダヤ人がゲットーに押し込められたままになっていたことを見るとそんな考えも沸いてきます。
オンブー
- >3 戦後どころか第一次大戦頃からシオニストによるユダヤ人のパレスチナ入植は始まっています。二枚舌外交の典型として有名なイギリスのバルフォア宣言(パレスチナにユダヤ人国家を造ることを保証。その一方、イギリスは英領パレスチナの独立をアラブ人に保証している)は第一次大戦後だったか。
ハンナ・アレント等が指摘していますが、西欧のキリスト教社会にとってユダヤ人は目障りな存在であり、ユダヤ人独立国家を指向するシオニストの運動と利害が一致する。このため、彼らの運動はナチス・ドイツだけでなく多くの西欧諸国にとって好都合でもあったというわけ。
ソ連はともかく米英がナチス・ドイツに対し本格的に立ち向かうようになったのはナチズムの拡大を恐れたためであって、ユダヤ人迫害が人道的犯罪として注目されるようになったのは、戦後のニュルンベルク裁判以降だし。
アリエフ