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「あなたはどっち?」を書いていて思い出したことがあるので書き込みます。 以前大学の友人と飲み会をしたとき、高知出身の人が、「広島に原爆が落ちなかったら、実は高知が目標だった」とか言う話をしていました(しかも何度も)。 果たして、高知への原爆投下計画は実在していたのでしょうか?。 それと、(私の実家がある)大牟田に原爆を落とす計画があったという話を聞いたことがあるのですが、そこなら三池炭鉱とかのような重要目標が思い浮かぶのですが、仮に上の話が事実として、高知の場合どのような(原爆を落とす理由になりそうな)目標があるのでしょうか? zono |
- 当時第21空軍司令だったカーチス ルメー小将の回想録によれば、原爆の「目標としてはまだわたしがほとんど手をつけていなくて、こうかの大きい街をえらぶひつようがたった。」としており、「京都、広島、小倉、または新潟が候補にあがった...」とあります。 また、「9日には...長崎に使用された。 ただし、この日の目標はほんとうは小倉であった。」と記しています。原爆の目標としては、大きな都市が選ばれたようで、軍事または産業関係の目標は考えられなかったようです。
Vinegar-Joe
- 過去ログ戦史380等にもありますが、1945年4月17日段階で東京湾・川崎・横浜・名古屋・大阪・神戸・京都・広島・呉・八幡・小倉・下関・山口・熊本・福岡・長崎・佐世保が原爆目標の候補となり、これをさらなる選定にかける途中で長崎が加わり、7月25日段階で広島・小倉・新潟・長崎に絞りこまれます。
8月6日のミッションについては、明確に第一目標広島、第二小倉、第三長崎となっており、高知は目標になっていません。9日の爆撃では、第一目標小倉、第二長崎で、小倉が雲に閉ざされて目視投下できなかったため、長崎に回ったらこちらも曇りで、「原爆を海に捨てるよりは」と(目視投下を命令されていたにもかかわらず)レーダー投下を行なっているほどです。
グローヴス将軍はオリンピック作戦までに10〜12発の原爆が準備可能としていましたから、日本降伏が遅れれば、上記候補都市が順次原爆攻撃を受けたものと思われます。もし高知に原爆を使うことがあるとすれば、その後、目標都市を大幅に拡大してからになるでしょう。
ノースバーグ
- >2 あ、間違い。東京湾〜長崎・佐世保の17都市から京都・広島・新潟の三都市に絞り込まれ、その後京都が目標から外されたり色々ある過程でまた長崎が復活するんですね。
ノースバーグ
- 実際に使用可能な原爆は、46年6月段階で、(使用済みを除き)7個程度だったようです。
蛇足。こういう都市伝説はどこにでもあるのかなぁ、という気がしてきましたが、なんで「目標高知」という話が出るんだろう、とつらつら爆撃経路図を見ながら妄想してみるに、B-29がテニアンから硫黄島上空を経由して広島に侵入すると、途中で高知のあたりを通過することになりますから、そのせいかもしれません。
ノースバーグ
- 日本の中規模以上の都市のあちこちにある文字通りの都市伝説かもしれません。
以前も書いたかもしれませんが、新潟出身の友人何人かから、8月9日は実は長岡市が第一目標になっていたのが、
天候不良で爆撃を免れて代わりに長崎に原爆が落とされた、と親から教えられたと聞きました。
私は、当日の第一目標は小倉であったこと、長岡と長崎とでは遠すぎて一回のミッションではカバー出来そうもないこと、
などを教えたのですが、釈然としないようすでした。
便利少尉
- みなさま回答ありがとうございます。
私も「本来の目標(広島・長崎・小倉・新潟?)」云々の話は知っていたので、友人にはその話が出るたびに何度か反論(?)しましたが、彼があまりにも自説を曲げなかったので疑問に思い、ここに書き込んだ次第です。
結局都市伝説の類だったんですね。<高知への原爆投下作戦
それと、大牟田のほうの話も結局は嘘だったんですね。
(こちらのほうは炭鉱があるだけに、「投下計画があった」といわれれば信じてしまいそうになるが。)
とすれば、結局原爆使用は大量殺人そのものが目的だったんですね…。
あえてそのような目標ばかり選んでいるようですし…。
zono
- ほんと嫌になります。(一番下に入れ損ねた)
zono
- 便乗質問ですがよろしくお願い致します。
いつ頃、何で読んだかも全く憶えていないのですが、「米軍は、原爆投下以前に、日本の何箇所かの都市?に、原爆投下を想定して、模擬弾を投下した。」との話を読んだように思うのですが、こんな事は有ったのでしょうか?
roht
- >8
パンプキン爆弾と呼ばれる原爆と同じ形(中身が通常火薬)の爆弾で何度も投下訓練を行っています。詳しい地域は知らないのですが、大阪のニュースで見た事があります。
12式戦爆
- rohtさんの質問への回答です。その話は本当です。模擬爆弾は長崎に落とされた原爆と同型・同重量の4.5トンの通常爆弾で、橙色に塗装されて、その形状から「パンプキン」と呼ばれていたそうです。
原子爆弾投下の「リハーサル」のため、7月〜敗戦までの間、京都・広島・新潟周辺の地方都市に計44ヵ所に投下されたそうです。(「ルメイ・最後の空襲」より抜粋)案外、zonoさんの聞かれた話の原因の一つには、この辺にあるのではないでしょうか?
けーくん
- パンプキンの件ですが、以前地元の新聞にのっていたネタの記憶ですが、北陸には結構多くが投下されたようです。投下した航空機には「爆弾投下後、速やかに退避せよ」という指示があったそうで、目撃者の話でも投下した爆撃機は戦果を確認もせずに去っていったそうです。そのことからも、戦略的な意味合いではなく核の投下訓練だったようだという記事でした。
ぼーんふぃっしゅ