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日清戦争のとき巡洋艦「浪速」艦長の東郷平八郎は国際法のどの部分をどう解釈して英国船「こうしょう」(字が出てこない!)を撃沈したのでしょうか? ビクトロラ |
- まず、高陞号の臨検と撃沈は、1894年7月25日の豊島沖海戦開始後であり、臨検の時点で日清両国はすでに戦争状態に突入しています。戦争中に中立国の船舶が戦争当事国の一方の武器や兵員を輸送すれば中立義務違反となります。戦争当事国は中立義務違反がないかを確認するために、中立国船舶の臨検をおこなうことができ、中立違反があればその船を拿捕でき、臨検を拒否する場合は撃沈できると考えられます。
浪速は、高陞号を臨検し、清国の兵士・武器の存在を確認したうえで捕獲しようとしますが、清国側が降伏を拒否、戦闘となりました。これだけだと浪速の行為にはまったく問題はありません。
問題は、高陞号が日本の対清最後通牒の期限前に中国を出航した点にあります。実際、高陞号のイギリス人船長は、臨検時にこのことを理由に高陞号には中立義務違反はないと主張しました。しかし、高陞号の朝鮮到着は最後通告の期限後となることが明らかであり、しかも高陞号の船主は日本の最後通告の内容を高陞号の出航以前に知ることができたことから、日本は高陞号の兵員輸送が中立違反にあたると認定することができるとされました。
東郷平八郎は、中立国船舶の中立義務や臨検の方法は理解していたと思いますが、中立国船舶に中立義務が発生する時点は厳密にいつかといった、ややこしい問題についてはどの程度理解していたのか、私にはわかりませ4ん。
カンタニャック
- 回答ありがとうございました。
不審船撃沈のニュースを見てふと疑問に思いました。
改めて深謝申し上げます。
ビクトロラ