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プリンスオブウェールズが撃沈された時、ドイツ、イギリス、アメリカではどのような報道がされたのでしょうか? Heinkel |
- 枯れ木も山の賑わい、ということで日本参戦に対するドイツ国民の反応を少し、
記憶で書きますが『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆1941−1942』に載っている親衛隊の秘密民情報告(チクリ情報)によると、それまでなぜソ連に参戦してくれないんだ(日ソ中立条約を知らない)、本当に味方してくれるのかといった日本に対する視線は目覚しい戦果で劇的に好転、これで対英戦はきわめて楽になるだろう、という雰囲気が支配的になったそうです。
ところがこの雰囲気も東部戦線のソ連の反撃・食糧不足などで長くは持たなかったそうです。東洋艦隊撃破に対する反応も少し書いてあった気がします。
バツ
- イギリスではPOWとレパルス2隻の沈没が確認されると即日チャーチルが議会で報告し、同時にラジオでイギリス全土に放送され新聞もその日の夕刊に一面トップで取り上げたそうです。
きんめる
- ”報告をうけたチャーチル首相が「生涯で、かくも大きな痛手を受けたことはなかった」と悲しんだ...”(児島のぼる著「太平洋戦争」より)
Vinegar-Joe
- タイムズあたりだったら大学の図書館などでは縮尺版があるので実際読んで見るとおもしろいかもしれません。
いおーじま
- 去年の「MILITARY HERITAGE」12月号にマレー海戦の論文がありました。しかし報道内容については殆ど書かれてないですね。チャーチル回顧録の引用があるだけです。内容は「私チャーチルがシンガポールに彼女達を派遣するよう主張したのは、まるで「羊を殺されに行かせるような」ものだった。私は(部屋で)一人であることに感謝した。この広大な海で日本は強力で、我々はどこでも、弱く無防備であった。」
こわもてカーン
- ゴミです。昭和23年に当時未公認の世界記録を出していた古橋、橋爪をロンドンオリンピックに参加させようという話があったのですが、イギリス側が認めなかったそうです。その通達の最後に「われわれはプリンス・オブ・ウェールズを忘れない」とあったそうです。
オンブー