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本土防空戦で陸軍航空隊と海軍航空隊はどちらが活躍したのでしょうか? また「陸軍航空隊と海軍航空隊の連繋の不備から本土防空戦で失敗した」と聞きましたが、具体的にどこが問題だったのでしょうか? モーグリ |
- 防空戦は陸軍が中心となって行うものですが、陸海軍の連携不備というよりは、邀撃に上がる機数が常に致命的に不足していたことが一番の原因でしょう。
陸軍の防空作戦は二十年三月の米艦上機の関東地区空襲で防空戦隊所属戦闘機の対戦闘機空中戦の訓練不足もあって大損害を出して以来、温存策に移行して終戦を迎えますが、海軍航空隊はP51の来襲に際しても六〇一空等を中心に50機から80機の規模の出撃を繰り返し、昼間邀撃戦の中核をなしています。このように陸海軍では作戦方針そのものにかなりの違いが見られますが、これも陸海軍の連携不備というよりも慢性的な機数不足が影響しての事と見ることもできます。陸海軍の連携不備が惜しまれる程の能動的な大規模出撃は終戦まで一度もありません。
フィリピン戦への抽出、関東空襲による損害、沖縄戦への抽出、本土決戦への温存と何度も兵力を引き抜かれた末に発生した二十年六月以降の無邀撃に近い時期にB29の延べ来襲機数は爆発的に増大し、これが日本空襲におけるB29の通算損害率を大きく下げる結果になっています。
BUN
- B29の搭乗員にJACKと呼ばれて最も恐れられたのが雷電です。日本軍の戦闘機中、性能的にB29迎撃に最も適していたのは雷電でしょう。
しかし、対B29戦で最高スコアを記録したのは3式戦装備の陸軍第244戦隊(小林戦隊長)でした。2式戦装備の陸軍飛行第47戦隊と共に体当たり攻撃で多くのB29を撃墜したのです。それも、2式戦は防弾板と武装の全てを取り外し、3式戦は防弾板の取り外しと装弾数機関砲1門につき300発を50発に減らして高空性能を向上させてはじめて可能となったことでした。
B29に馬乗りになって生還した中野伍長・・、都民注視の中B29に体当たりして戦死、撃墜したB29が錐揉み状態で墜落していく様子がニュース映画で報道された吉田曹長・・、B29に何回も体当たりして撃墜し、その都度生還をはたした小林戦隊長・・等、正に日本精神の鑑というべきであり、この方々の奮戦振りには本当に頭が下がります。
みいくさ