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1944年7月から8月にかけて、バルト3国を舞台に行われた、独ソ戦の推移 について、詳しく分かる書籍を教えて頂けないでしょうか。 山家 |
- いつもお世話になっています。1年ほど前、とある雑誌に取り上げられていたの
を読んで、興味を持ち、いろいろ図書館等で探しているのですが、中々良い書籍を
見つけられずにいます。特に気に掛かっているのは、赤軍の2つの部隊です。30
8ラトビア師団が、独武装SS「ラトビア」師団と、祖国ラトビアの地で、同胞相
食む悲劇を演じたことは、史実であったことなのでしょうか。また、16リトアニ
ア師団が勇戦敢闘したことが一因となって、WWIIが終結した後、ポーランドとリ
トアニア(ソ連の1共和国になってしまいましたが)の国境線が、リトアニア有利
に引かれたというのは、本当でしょうか。私の捜し方が悪いためだと思いますが、
未だに調査が行き届いていません。どうか、よろしくお願いします。
山家
- >有利な国境線
平凡社の百科事典「リトアニア」の項より、
第 1 次大戦では 15 年からドイツ軍に占領され, 18 年には独立を宣言したが,ドイツ軍撤退後に進出した赤軍のもとでソビエト権力が宣言され,この赤軍が撃退されて 20 年に独立が達成された。しかし同年 10 月ポーランドがビルニュス地方を占領して自国に編入し,国際連盟も結局これを認めたので,リトアニアは歴史的に関係の深いポーランドと建国早々に敵対関係に入った。
(中略)
第 2 次大戦前夜の 38 年,リトアニアはポーランドからの圧力でビルニュス地方への要求を放棄し, 39 年 3 月にはドイツにクライペダ地区の放棄を強いられた。同年秋ポーランドをドイツと分割したソ連邦からビルニュス地区を譲られたが,同時にソ連軍の基地を認めさせられ,翌 40 年 8 月ソ連邦に加入した。
というわけで、ひょっとしたらこのビルニュス(現首都)をそのままにしたのが有利な国境線ということではないでしょうか。
>308ラトビア師団
アーマーモデリング誌・高橋義史氏連載『武装SS最貧師団列伝』によると、編成されたSSラトビア(レットラント)師団は第15・19の2つですが、このエピソードは書かれてはいません(第19の方には、兄弟がソ連軍とSS第14「ガリツィア」に分かれて戦った話はありますが)。
こちらが高橋氏のサイトですので、よろしければ聞かれてみてはいかがでしょうか。
http://www3.plala.or.jp/Last-Kampf/index.html
バツ
- バツさま、どうもHPを紹介して下さり、ありがとうございます。早速行ってみ
ます。独降伏時、ポーランド人は、ソ連軍指揮下、歩兵10個師団を基幹とする2
個軍を編制し、西部戦線等で英米軍の指揮下で戦っていた人を含めれば、約60万
人も、独との戦いに参加していたのに、リトアニアとポーランドの国境線が193
9年にソ連が認めた国境線のままだったのは、16リトアニア師団の勇戦敢闘ぶり
が、ソ連政府・軍首脳部に強い印象を与えていたのが一因だったと友人から聞き、
その真偽を調べているのですが、未だに分かりません。早速行って、質問してみま
す。どうも、ありがとうございます。
山家
- あああ!師団名を取り違えていました。すいません。
バツ