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ある戦記に、福生基地からの目撃談として 「昭和20年8月15日午前11時40分頃までB29と艦載機が編隊を組んで西から東に神奈川方面を飛んだ。高射砲がこれを迎え撃った。直撃を喰らったB29が真黒い煙を引いてバラバラに空中分解し落下するのが望見された。」 とあります。玉音放送の直前に本当にこんな事が有ったのでしょうか? 何となく納得がいきません。もし有名な話でしたらごめんなさい。よろしくお願い致します。 roht |
- 8月15日の米軍爆撃記録としては
Nos.325 Hikari Naval Arsenal
Nos.326 Osaka Army Arsenal
Nos.327 Marifu railroad yards
Nos.328 Nippon oil refinery
Nos.329 Kumagaya
Nos.330 Isesaki
というようなものがあるようです。
熊谷と伊勢崎の投弾開始時刻は0023(14日)と0008ですので
該当しません。
片
- ↑「(14日)」は間違いです。23と言う数字を見て頭が23時に直結してしまいました。お恥ずかしい。ただ、上記爆撃の中には14日深夜に投弾を開始したものもあるようです。
片
- 当地調布は福生とも近いですので、空襲の状況はほぼ同じですが、20年8月15日は前夜から払暁までB29が、その後、午前7時30分頃までは艦載機が来襲しており、朝まで警報のサイレンが鳴り続けて眠れなかったそうです。しかし日中には、空襲は一切ありませんでした。
これは、公刊戦史『本土防空作戦』にある空襲記録一覧の内容とも一致しています。
櫻井
- 片さま。櫻井さま。有難うございました。8月15日は、連合国は日本の降伏を知っていて、空襲なんかなかったと勝手に思っていました。
すなわち、連合国は玉音放送で初めて日本の正式な降伏(ポツダム宣言の受諾)を知ったと考えていいのでしょうか?
roht
- 8月15日正午の玉音放送は、あくまで日本国内向けのメッセージで、連合軍の戦闘行動とは無関係と思います。
終戦の御聖断は8月14日正午に下され、その夜、詔書の作成や放送用録音が実施された後、14日午後11時にポツダム宣言受諾電報が在スイス加瀬公使宛に打たれています。
それがスイス政府経由で連合国に伝えられ、連合軍部隊への戦闘停止命令へと繋がります。何時に命令が下達されたのか知りませんが、15日早朝に来襲した艦載機の出撃時には間に合わなかった、ということだと思います。
なお、15日午前7時には、正午に重大放送が実施される旨、放送で告知されています。
櫻井