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@世界中の兵がかつて左手に盾、右手に剣で戦闘に臨んだのに何故か日本だけは刀のみ。 A世界中で弩が普及したのに何故、日本では(作られたことはあるのに)普及しなかったのだろうか。 B攻城器も何故、日本では(作られたことはあるのに)普及しなかったのだろうか。山城には不向きでも平城には効果絶大なのだが。 …以上の3点について解答願います。 越谷 |
- 1・主兵装は両手使いの槍だからでは?
3・築城思想の違いからだと思います。城壁のある位置の違いを考えてみましょう。日本には城市というものがありません。
まなかじ
- 過去ログの「武器、装備全般」の1022番に関連情報がありますね。
とめ5号
- 1番ですが、世界中で盾と剣と言うのが標準兵装ではありません。より威力を求める為に斧などの両手持ち武器を使うのは
欧州などでも良く見られますし、単純に剣だけで言うならば、突く、殴る、切るの用法があり、日本は数少ない切ると言う
使い方をする為でもあります。
刀の場合は刀で受ける事が盾と同じ働きをするわけです。
この辺りは説明すると非常に長い事になります…。
3番は日本で平城が発生した時代には、既に鉄砲が存在していました。
下手な攻城兵器よりも、大筒の方が効果的です。
更に日本でも破城鎚はありますし、城攻めの時は竹などで盾を作るのは日常で行われております。
他にも井楼は移動式、固定式双方使用されておりますし、手押し車に銃眼を開けた鉄の盾等は大阪攻め等で使われています。
六月堂
- もうちょっと1番について言いますと、こうも言えます。
非常に大雑把な分け方をすると、平安から室町初期までは上級武士の主戦兵器は弓と大太刀と言う、両方とも両手兵器です。
雑兵は槍か薙刀と言う、やはり両手兵器です。
両手が塞がっているので、盾が持てませんよね?その為に鎧に工夫をしたと言うのもあります。
充分な防御力を持つ鎧が開発出来れば、その後は両手が使える兵器中心になるのも当然の推移です。
因みに、弥生時代では日本でも盾を持っていた事もあるのは、埴輪などから判断できます。
六月堂
- Aについての私論ですが
1、平原が少ない
山岳戦が多いため、射程より機動性(取り回しの良さ)が求められた
2、従軍人数が少ない
鎌倉時代から戦国末期まで万単位での戦いは数えるほどしかなく、それも参加武将―家臣―陪臣という編成で中国式の軍団編成ではなかった
3、城砦が木造
一部Bともかぶりますが木造なら火をつけてしまえば良くなってしまうのであえて必要が無かった(傍証として「投石器」も日本史に出てこないことがあげられます)
ということではないでしょうか。
gogatee
- 最近読んだ歴史の本(題名失念)によると、日本でも律令に基づく防人制度の軍団があった頃には、中国伝来の弩や投石機の類がかなり使われていたそうです。しかし、多数の歩兵による集団戦法を取る防人制が崩れ、少数精鋭で機動力に富む専門的戦闘部隊同士の闘いが主流になるにつれて、こうした兵器がすたれ忘れ去られてしまったとか。
アリエフ
- ↑「健児の制」施行後ですね。時期は坂上田村麻呂の北征のちょっと前くらいからです。
それ以前の強制徴募を廃し、富農や豪族の子弟に的を絞った職業軍人に切り替えるという内容で、かなりの数が志願しました。当然志願兵なのでレベルが高く、北征はその為に成功したようなものだと、ウチの歴史の先生がいっていました。
居眠り将軍