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544 武装SSがやたらと外人部隊創ったのは思うように人が集まらなかったからでしょうか?あるいはほかに深刻な理由が?
赤頭

  1.  前者の理由もあったらしいのですが(「捕虜をつくらない」と噂された組織だったために、捕まったら命が無いと考えられ人気が無かった)、独ソ戦に伴ってドイツ軍自体が深刻なダメージを受けてしまったために、人的資源を片っ端から集める必要に迫られた、ということだったと思います。国防軍もロシア人を師団編成に組み込んでいますよね。
     イデオロギー的な理由としては「ヨーロッパ連合十字軍対ボルシェビキ」の構図を作る必要もあったのでしょう。
     本は芝健介『武装SS』講談社がお勧め(学研から似たようなのが出ますが)、図書館にあるので盆が終わったら調べてみます。
    バツ

  2. 占領地からは徴兵できなかったからってのも有るそうな
    『熱烈な志願者が自発的に入った』事にするには国防軍でない組織が便利だったんでしょう


    SUDO

  3. 今読んできて、重要なことを忘れていたのに気付きました。ドイツ国籍を持たない民族ドイツ人などの武装SSへの受け入れは大戦前から始まっていますが、「民族の血」を重視するヒムラーにとっては、「外国人」というよりも「同じ民族」という位置付けだったそうです。
    無論、国防軍との徴兵枠争いも見逃せない理由です。
    民族にかまっていられなくなった最初の師団は、‘43年2月にクロアチアのイスラム教徒で編成された「第13武装山岳師団≪ハンジャール≫(SS所属)」で、以後スラヴ系師団も編成されていきます。

    バツ

  4.  当時の軍制度にくわしい方にうかがいたいのですが、「ドイツ国防軍」に「外国人」の部隊を作るなんてことができたものでしょうか。国軍は国民軍である以上国民以外の成員がいちゃいけないような気がするんですが。私はずっと、国民以外の戦闘部隊を作るのならばSSに入れるしかないから、「武装」SS師団や「義勇」SS師団があるものだと思っていました。
     SS=エリート、と考えるとクロアティア人SSなんてナンセンスと思うかもしれませんが、そうじゃないんじゃないか、というのが私の推論です。正解や如何に。
    大名死亡

  5. http://www.feldgrau.com/foreign.html

    ↑、ドイツ軍外国人部隊を記述していますが、国防軍でも結構外国人部隊を編成しています。制度がどうなっていたかは不明ですが。
    バツ

  6. 補足、AM誌の最貧SS連載を見ても伺われますが、このレベルの武装SS=精鋭・エリート、とは当人たちも思っていなかったと思います。
    異民族を武装SSに入れるのには抵抗があったようですし、民族ドイツ人であっても部隊内での差別は激しく、端的に現れているのが師団名のつけ方で、

    ドイツ国籍のドイツ人で構成された師団→「SS第(通し番号)(兵科名)師団《師団名》」

    民族ドイツ人で構成された師団→「SS第(通し番号〉義勇(兵科名)師団《師団名》」

    異民族で構成された師団→「第(通し番号)(兵科名)師団《師団名》(SS所属)」

    といった感じで差異を示しています(命名方法に関しては記憶が曖昧)。

    バツ@第666騎兵師団《タルタル》(SS所属)
     

  7. 武装SS関係の質問が出ているので便乗させてください。
    武装SSの師団名とその日本語対訳のあるサイトをご存知でしたらご紹介ください
    ついでに部隊マークもわかればありがたいです。
    #いろいろ検索はしてみたのですが、どうしても(意味が)わからない師団があるの#で・・(無論辞書も引いてみたのですが成語らしく直訳では意味不明でした)

    松平

  8. http://www3.plala.or.jp/Last-Kampf/index.html

    とりあえずこちら、最貧部隊研究家にしてサラリーマンの高橋慶史氏のサイト。教えを請えば優しく教えていただけます。

    詳しくならば前述の本に、たいていは書かれている事と思います。ところで分からない師団は何でしょうか?

    バツ

  9. >とりあえずこちら、最貧部隊研究家にしてサラリーマンの高橋慶史氏のサイト。
    >教えを請えば優しく教えていただけます。

    ありがとうございます。のちほど訪問させていただきます

    >詳しくならば前述の本に、たいていは書かれている事と思います。ところで分か
    >らない師団は何でしょうか?

    ごめんなさい、書いてから気が付いたのですが武装SSじゃなくて戦車師団?かもしれません。Feldherrnhalleという師団です、

    松平

  10. すいません。そのものずばりこんなページがありました。

    http://www4.justnet.ne.jp/~15041954/l-sssidan.htm

    >Feldherrnhalle、フェルトヘルンハレ、装甲擲弾兵師団でしたっけ(我が愛しの第503重戦車大隊にも同じ名前がついておりますが)。「将軍廟」とも訳されますが、ミュンヘンにある戦死者が祀られる施設で本邦の靖国神社みたいなもの…、なのか?

    http://www.deutschlandsarchitektur.org/muenchen/sonstiges/feldh.html
    バツ

  11. >「将軍廟」とも訳されますが、ミュンヘンにある戦死者が祀られる施設で
    >本邦の靖国神社みたいなもの…、なのか?
    なるほど・・・ なんかパルテノン神殿みたいな部隊シンボルがあったような
    気がするので納得です。ありがとうございました。

    松平

  12. 遅かりし訂正。

    異民族で構成された師団→「第(通し番号)(兵科名)(SS所属)師団《師団名》(構成国・第〜)」

    という風になるようです。

    バツ

  13. フェルト・ヘルン・ハーレ(将軍廟)ですが、ミュンヘン出身の将軍たちを祭った廟で、1923年のナチス党によるミュンヘン一揆の際に、この廟の前で警察部隊と銃撃戦となり、ナチス党員16名と警察官3名が死亡しています。ナチスが天下を取ってからこの事件を神聖化し、壊滅した部隊を再建する際に景気付けのために部隊名にこの名を冠しています。第503重戦車大隊が改称したのは武装SSの第503重戦車大隊と混同を避けるためのようです。
    部隊の戦歴などは学研から出ている「ドイツ装甲部隊全史-3」が参考になります。
    のりのり

  14. >>13のりのり様、ご回答ありがとうございました。
    そういう故事にのっとっているのですね、勉強になりました。

    松平


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