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太平洋戦争中の昭和19年2月17日〜18日に、米軍艦載機の大規模な空襲を受けたトラック島では、航空機約270機を失い、水上艦艇12隻、輸送船31隻を撃沈されましたが、これらは、空襲による損害であったにもかかわらず、なぜ事件として扱われ、「海軍丁事件」と呼ばれるようになったのでしょうか。 みや |
- 自問自答になってしまいますが、この「丁事件」の「テイ」はアルファベットの「T」と極めて似た形をしており、日本語における発音も似ていることから、「Torakku島」の頭文字Tを意味するものとして丁を用いたのではないかと思われるのですが、いかがでしょうか。
それにしても、やはりこの件を事件と呼ぶのは不思議です。むしろ戦艦陸奥の謎の爆沈の方が事件と呼ぶべきものだと思うのですが・・・・・
質問者
- 確か、海軍甲事件乙事件がありましたよね。甲乙丙丁って数えかたですけど、丙事件ってのありましたっけ?
tomo
- 当時、トラックが持っていた重要性から事件として取り扱われたようですね。
詳しくは戦史叢書の「連合艦隊 5」を参照してもらいたいのですが・・・
「丁事件」については、以前似たような質問をした折り、今泉さんから教えていただいたのですが、「T事件」と表しているもの(公式文書なのか戦記なのか不明ですが)もあるとのことです。
ただ甲乙丙丁の順番で事件の名称が付けられた訳ではないようで、みやさんが想像されているように「丁」=「T」の発想で名付けられたんじゃないかと私も想像しております。
源五郎
- 戦史叢書(中部太平洋方面海軍作戦)では「T」事件と記述されていますね。同様に「T作戦警戒(トラック島周辺の哨戒など)」「T作戦要領(トラック島への米機動部隊来襲時の作戦)」という字句もあるので、確証はありませんが、トラック島の頭文字をとったのではないでしょうか。
「事件」となったのは源五郎さんが御指摘の事情によるものでしょう。
tackow
- ありがとうございます。
丁=Tについては、以前から疑問に思っていたのですが、皆さんの書き込みから、断定はできないものの、ほぼ間違いなさそうだと思います。
甲事件は昭和18年4月18日の山本長官の戦死、乙事件は昭和19年3月31日の古賀長官の行方不明です。
丁事件は乙事件の1ヶ月以上も前に起きていることから、丁事件の名称は、特に順番を意識してつけられたものではないという御意見を以前拝見したことがありますが、私もそのように思います。
みや