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ロシア革命の時、連合国は本気でレーニンのソビエト政権を潰す気があったんですか?そのわりに投入した兵力が少なすぎます。もちろん例外の日本の場合は「本気でシベリアに権益を拡大しようとした」からこそ大軍を出しました(私は日本はそれだけが目的だったと考えています)。また、ソビエト政府と戦った軍隊(日米英仏の4連合国及び白衛軍)のなかで日本軍の占める割合は何%ですか? ぱるぱる |
- 各国がシベリアに出兵したときの名目としては、
チェコ(スロバキア)が休戦協定の結果独立国となりましたが、チェコ人からなる旧ロシア帝国軍部隊がロシア領内深く孤立しており、しかもチェコスロバキア本国はもちろん赤色国家ではなかったため、ソヴィエト政府はこのチェコ人部隊の出国に難色を示していました。
よって、これを救援し、シベリア経由での脱出を支援すること、だったはずです。
シベリア出兵は、本来ソヴィエト政府の打倒を目的とはしていません。
まなかじ
- 名目はともあれ、日米英仏が国際共産主義運動の拡大を防ぐためにも白衛軍等の反革命勢力に肩入れし、ソビエト政権の崩壊を希望していたと思います。しかし、英仏は第一次大戦による国力の疲弊から立ち直る方が優先課題、アメリカは欧州各国間の政治的利害対立に巻きこまれたくないから、対ソ連作戦への関与も最小限にしたい、というのが本音であり、日本はかなりの兵力を送ったものの、各国とも反革命勢力によるソビエト政権への対抗、封じ込めに期待していたということではないでしょうか。
また、第一次大戦直後、ソ連が熱心に後押ししていたドイツでの共産主義革命が頓挫し、ソ連が一国社会主義を取らざるを得なくなり、国際共産主義運動の脅威が減少しました。これと反革命勢力の衰退という現実を見て、アメリカを初めとしてソ連との平和共存の方向に転換したと思います。ところで、アメリカは当初から日本のシベリア出兵などについて批判的だったはずですが。
アリエフ
- シベリア出兵の目的について、もう一つ。
当時は第一次大戦中で、英仏にとっては、ロシアが同盟国と休戦すると、東部戦線からドイツの大軍が西部戦線に移動してくるため、戦線を維持させるためというのがあります。
実際には、休戦後もドイツは大軍を東部戦線に維持していましたが。
さいどわ