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ここで良いのか、わからないのですが・・・ 江戸時代の武士の俸禄は、基本的に米でした。 それでは、一石の米を生産するのに、どの位の土地が必要だったのでしょうか。 よろしく、お願いします。 ユミ |
- よくはないと思うけれども、うろ覚えの記憶で参考までに。
一反、約300平方メートルで概ね三石程度、時代、地域によってはもっと悪いかもしれません。
BUN
- 一石というのは一人の人間が1年(360日)に食べる米の量を基準として定めた単位だそうです。
で、一反(=300坪)の水田で取れる米の量が一石。
というより一石の米がとれるだけの水田の広さを一反と定めた、と考えた方が良いみたい。
これもあくまで全国的な基準として。
なお、一反=300坪になったのは、豊臣秀吉による太閤検地以後のことで、
それ以前は一反=360坪だったそう。
つまり、人間一人の1日分の米が取れるだけの広さが1坪、ということ。
さらに、一石の米を買えるだけの金が1両。
ただし戦国〜江戸時代のインフレで、この基準は意味がなくなっていったとのこと。
ことほど左様に日本では米が生産単位の基準とされていたんですね。
参考文献:井沢元彦「逆説の日本史」1巻
勝井
- 一反は300坪です。小説家を引用する勝井山に訂正されてはおしまいです。しばらく旅に出ます。
BUN
- でも、一日四合の玄米を食べて雨にも負けずに暮らすと一石では全然足りませんね・・・。旅の道すがらに考えました。
BUN
- ↑いくら米が主食とは言え一日に1人で4合も食べますか?
一石って千合ですよね。一日三合弱とすれば妥当な値では?
taka
- すみません、ありがとうございました。よく分かりました。
ユミ
- 5>takaさん、隼とB29の燃料消費量を同等に考えてはいけません。自重からしてtakaさんと、師匠とは、大きな差がおありです。
r・・・匿名希望
- 食べるんだよ。昔の人は。本当にね。
で、一石=一年の消費量というのはどうも俗説っぽいぞ。
中国渡来の単位からかなりシステマティックに決まってるんじゃないか?
また、江戸時代の面積当りの生産量はやはり、三石から二石の間のようだ。
BUN
- 5>うる憶えで恐縮ですが、昔の人は現在の我々からするとビックリするぐらい米を食べるんです。先の大戦中、歩兵一人の一日当りの配給が5合だったか、7合だったか…。で、それを下回ってしまうと、たちまち飢えて戦力低下だったとか。おかずに依らず、米からエネルギーを得ようとすると、兵隊の運動量からするとかなりの量が必要だった、というのは確かなようですよ。
FJ-1
- 昔は玄米で、炭水化物以外の栄養の補給源にもなっていたため摂取量が多かったのではないでしょうか?
TETSU29
- >8,9,10
現代人と比べると二倍から三倍以上ですね。
今、米が余ってる理由が分かった気がします。
taka
- このようなHPがありました。
http://members.tripod.co.jp/message_from_sengoku/bun/mukashi/haramachi_02.html
一応男性の一人扶持は玄米1日五合ということのようです。
ただ、このHP中には、「生活費」という表現があるので、五合全てが
「食い扶持」かどうかは分かりません。
(女性の場合は、一日三合換算というHPも有り。この場合は男女平均
すると一人1日四合必要となるのでしょうか。)
単位面積当たりの収穫量も、当然のことながら良田と悪田では違った
ようです。
うろ覚えですが武士の領地を検地して石高を出す時には、一応
田の良し悪しも考慮されたという話を聞いたことがあります。
SAW
- でも一反(300坪)あたりの収量を2石とすると、一人扶持一日五合で
一年間で一石八斗だそうですから、一反で男性1人がほぼ生活できる計算に
なりますね。
やっぱり良くできているのか。
SAW
- ああそうでしたか。当時は米は通貨としての機能も持っていたんでしたね。
必ずしも「消費量」=「摂取量」じゃなかったんですね。
TETSU29
- いやあ、壮丁は一日に一升飯を食べるはず。近代に生きた宮沢賢治が粗食の例えとして一日四合と言っているのに注目。
BUN
- 旧陸軍の昭和2年度での一日の既定配給量が
5合6勺でしたっけ。まともに供給されたかどうかは知らない
ですが、ケチの旧軍が規定量としてこれだけの量を決めていた
という事は、これくらい食ったんでしょうか。
ちなみに関ヶ原の戦いで西軍兵士に給与として与えられた米は
1日あたり5合2勺。
当時でも余ったものは、どぶろくにしてしまう兵士が後をたた
なかったといいますが、
作戦期間の短さからすれば多少米余らせて酒にしちまう方がよ
かったんでしょうかね。
G−FOX
- 今朝の新聞によると、大正時代の紡績工場の女工さんには、一日当たり米4合が支給されていたそうです。
SAW
- >8 現在の日本の水田では、10アール(1000u)当たりの平均収量が500キログラム程度(米どころでは540〜550キログラム位、シラス台地が多く米作に向いていない所の多い鹿児島では450キログラム位)、1反が9.92アールで約10アールとみなし、うるち米の比重が1.13だから、米500キログラムは体積にして約450リットルに相当、石に換算すると、1石=180.4リットルだから約2.5石。要するに、農業技術が進んだ現在で1反当たり2.5石の平均収量となりますが、江戸時代に平均して2〜3石というのは、ちょっと多過ぎないでしょうか。条件の良いところでは、それくらい獲れていたかもしれないが、当時は平均して良くて2石程度だったと思いますが。このデータは検索して調べましたが、データミス又は計算ミスがあれば別だけど。
アリエフ
- 駅前書店に「女工哀史」があるはずです。
そこに、工場労働者の献立があります。
端折って言うと、御飯 + 味噌汁 + 漬け物または梅干し
です。
で、実験として、この献立を、1週間、喰って見れば分かりますが、
いかに運動しない現代人でも一日最低3合は喰わないとやってられません
無頼庵
- 現在は副食が充実しているため、米の摂取量が少なくなったという理解でいいのでしょうか?
TETSU29
- 私は、そう解釈しています。
お茶碗一杯の御飯で、約300〜400Kcal程度ですよね。
味噌汁、漬け物のカロリーって微々たるものなので無視しますと
今日の成人男子の所要量2800Kcal を満たすとすれば、
一日にお茶碗7〜10杯程度の御飯が必要です。
お茶碗一杯の御飯が5勺の米だと考えると、
やっぱり昔の日本人は、一日4合前後の米を食べている解釈で良いと思います。
ついでに脚気が国民病なのも納得、です。
無頼庵
- 訂正
「昔の日本人が一日4合の米を食べて居た」
では無く、
「今の日本人でも一日4合の米が必要」です。
昔の日本人は、自転車も自動車もバイクも無く、
とにかく歩いてましたから、
もっとカロリーが必要なはずです。
無頼庵
- 1日3合という数字は、
現代人とは体格が違うこと、
子供や老人まで含んだ総合値であろうことも
考慮せねばならないとは思います。
勝井
- 米生産量の方ですが、現在、技術的には玄米換算で700〜800kg/10アール程度の生産量は充分可能だそうです。ただ味の良い高く売れる米は、もっと収量が落ちること、生産調整等の関係から実際の生産量は500kg/10アール内外におさまっています。明治以前の生産量は諸説ありますが、平均では200kg前後/1反(ほぼ10アール)程度とみなす説が有力のようです。
anhbeo
- >(明治以前は)平均では200kg前後/1反(ほぼ10アール)程度
これだと平均して1反で1石ということになるが、現代とは違って病虫害や冷害などにより、かなり毎年の収穫量に変動があることをも考えなくてはならないでしょう。地域差も大きかっただろうし。
アリエフ
- >24 米の場合、条件の良い場所では、かなり粗放にやってもそれなりにとれるようですので、病虫害等による減収を見込んでの平均と思われます。もちろん、品種改良とともに、金肥のような手段で地力を維持し、またウンカなどの発生を押さえる防除技術が、平均収量をあげるためには重要です。
anhbeo
- 訂正 >24→>25 アホな間違い。
anhbeo
- 江戸時代、捕らえられた島原のキリシタンは、どんな拷問にも信仰を捨てることはなかったのですが、1日の配給を規定に従って米三合にしたところ棄教する信徒が相次いだそうです。終戦直後の配給は二合五勺、にもかかわらず我々は国を捨てていないと、坂口安吾が皮肉っています。(「二合五勺に関する愛国的考察」)
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