513 |
またまた、古い時代の質問ですみません。「もう、いいよ」なんて言わずにお答え頂ければ幸いです。 文永の役(1274年)でフビライ軍は「てつはう」なる手榴弾みたいな火薬武器を用いたそうですが、その時、「てつはう」は日本側に捕獲されたのでしょうか?研究、複製、開発、みたいな事実はなかったのでしょうか。それから1543年の鉄砲伝来まで、269年もの長い間、我国は火薬(それを用いる武器)とは全く無縁だったのでしょうか? 葡萄家 |
- 「武器・装備」の1022番をまず見てください。
ところでこれだけ短い期間に立て続けにご質問なさる理由は何でしょう?
レポートなどを書いているのでしたらあまりに横着しすぎです。少しは自分で調べてください。
TETSU29