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戦国時代の火縄銃に関する疑問です。白兵戦用として、着剣されなかったのはなぜでしょうか?やはり、銃兵隊は素人の集まりだったから、なのでしょうか? 葡萄家 |
- 銃剣そのものがなかったからだと思います(銃剣はスペイン継承戦争ではじめて実戦投入されたと記憶していますが未確認です).
にゃま
- 銃剣という概念が登場したのは17世紀頃のようですね。フランスのバイヨンヌという街で作られたことから、銃剣の英語名バヨネット(bayonet)の語源となったそうです。
日本の戦国時代の場合、足軽で編成された長槍隊(長槍の長さは3間=約5.5mを越える)による槍衾(やりぶすま)が戦術化されており、また徒武者や騎馬武者も長さ1間半〜2間(約2.7〜3.6m)の槍を用いていたので、長さ1間(約1.82m)にも満たない火縄銃に着剣しようというアイデアが出たとしても中途半端な存在にしかなりえないでしょう。
日本で銃剣が使われるようになったのは、洋式銃が大量に輸入されるようになった幕末からのようです。ちなみに、当時の銃剣は銃口の横に着剣する型式でしたが、今のように銃口の下に着剣する型式を採用したのは、明治陸軍の22年式村田連発銃が最初とのことです。
ブラック・タロン
- 前装銃に銃剣なんか着けたらおっかなくって装填できません。
TETSU29
- ↑いえ、上のレスを見ればわかるように、銃剣は後装銃のはるか以前から実用化されています。白兵戦状況になったときに、「着剣!」の号令をかけて、初めて装着させるわけです。初期の銃剣には、銃口に差し込んで装着するものすらあります。オーストリアのグラーツ市にある市民軍兵器庫(博物館になっている)には実物が展示してありますので、機会がありましたらぜひ見に行かれることをおすすめします(ゾクゾクするほど楽しいとこですよ!)。
大名死亡
- すみません、追加を。
確かに銃剣は槍にくらべれば不利ですが、それでも全兵員が火器を装備できるというのは強烈な強みなので、特に速射性に優れた火打ち石式銃が普及してからは、白兵戦力は銃兵の銃剣だけとなって槍兵はなくなりました。火縄銃の時代とは違い、火打ち石式銃の横陣に突撃するのは相当危険です(不可能ではありません)。
くわしくは、30年戦争やナポレオン戦争関連の歴史書や小説を読むと、感じがつかめてくると思います。
大名死亡
- 上でも出てきましたが、銃剣という概念が登場したのは17世紀です。フランスのバイヨンヌという街で作られました。そのころは剣というより刺殺用の棒に近いものでした。前装式の銃の銃剣(棒?)はL字の形のように装填時に手を傷めないように長く銃口から少し離れるような形をしておりました。それが棒型銃剣が主流だった。一つの理由です。そしてプロシア軍の後装式のドライゼ銃が登場して、銃口の銃剣で手を痛めことがなくなり剣型の刺す・切るが両方できる”銃剣”が生まれました。現代は刃先が短く用途が広いナイフ型が主流です。
戦国時代の鉄砲をもった足軽の数は全体から見ればわずか1割を切るくらいしかおりませんでした(長篠でも信長軍の鉄砲隊はわずか7.8%)。その頃の鉄砲は重く値段も高価(現代の価格で100万近くだそうです)で、銃剣をつけても槍や刀が相手の白兵戦では圧倒的に不利でした。日本の武士は鉄砲の他に腰に刀を挿していたので、実際敵がいたらもちろん刀を使うと思います。日本の鉄砲隊は攻撃・突進ではなく防御や支援に使うという考えが多く、ですからそういう背景で銃剣という考えが発達しませんでした。同時期のスペインにテルシオと呼ばれる長槍兵とマスケットの混合部隊がありましたが、まだ銃剣は装着しておりませんでした。マスケットの命中率や殺傷能力は低く、テルシオの長槍兵は突進時の接近戦でマスケットの接近戦能力を補うものでした。
ちなみに鉄砲隊は手順の号令・指示を出す指揮官の資質にかかってるとさえいわれ
ました。鉄砲は非常に強力な武器なので、兵にはそれほど仕組みや戦術を
あまり詳しく教えませんでした。
未知
- <5 特に速射性に優れた火打ち石式銃が普及してからは・・・
火縄銃との比較でおっしゃられていると思いますが、火縄銃とフリントロック式マスケット銃を比較して発射速度にそれほどの違いはでないと思うんですが、どうなんでしょうか?
紅葉饅頭
- 戦国時代の火縄銃の鉄砲隊はあの信長軍でさえ多くて10パーセント前後の装備率です。当然個人の標準装備ではなく鉄砲射撃専用の部隊用です。しかも他の武将は威嚇か射撃程度にしか使わなかったとあります。あくまで槍が主力でしたので鉄砲隊が白兵戦を行うころには勝敗は決しているということです。
当時、距離と火薬量の配分等は鉄砲足軽隊指揮官のみ把握してたようで指示なしでは鉄砲足軽は弾込めもできなかったといいます。かといって普通の足軽のようには使えない部隊。
鉄砲隊が白兵戦になったらさっさと逃げて戦力を温存させるのが一番かも。
火縄銃の鉄砲隊はけっこう運用しにくい部隊のようです。
ゆゆゆ
- 確かに戦国期は白兵戦で勝敗を決するものが多いですが(あたりまえでしょうけど)射撃は大変重要です。
例えば沖田畷の戦い等は射撃戦による勝利が望める戦いですが龍造時氏のミスにより(突撃命令が勝手に出た、更に突撃した場所の地形の不利により)龍造時氏は大敗しております。
戦国末期、朝鮮の役等は鉄砲は無くてならない重要な兵科(?)になっており、朝鮮の役等で加藤清正、浅野幸長等は自ら鉄砲を撃ちまくっており、兵力総数からのパーセンテージで求めると確かに確かに少ないように見えますが実際はもっと重要な兵力だった様に思うのですが皆様如何お考えでしょうか?
葡萄家様、横道に逸れて申し訳ありません。
伊号
- >火縄銃と不倫とロック色魔助っ人…フリントロック式マスケットをくらべて、発射速度にそれほどの差はない
うーん、考えてみればそうですね。漫然と受け売りをしていました。反省します。実際のところどうなのでしょう?
大名死亡
- 火縄式とフリントロックの場合、フリントロックのほうが全天候下において着火が確実な事もあって
フリントロックが普及した、という記述を読んだ事があります。但し,帆走軍艦時代の小型艦砲の場合,
フリントロックによって巧く着火しない場合に備えて、火縄を予備で持っていた様なので,どちらも
信頼性に欠けるがフリントロックのほうがマシ,という程度だったのかも。
大塚好古
- >発射速度の差異
両者は射撃大会をする分には恐らく殆ど差はないのでしょうが、
火縄銃では火打ち石式銃装備と比べて統制行動を採るのに難がある、ということです。
火縄銃隊による横隊陣形とは、ただの密集陣に過ぎませんが、
火打ち石式銃隊では立派に作戦機動をしていました。
つまり火縄銃に科せられる(た)役割とは統制射撃、のみですね。
事実日本における野戦での運用は突撃の作為条件形成のために使われていました。
射撃速度の差、というものはそう言うことですよ。
まさか、赤い彗星の3倍のスピードとは仕事のそれであって、
(最高)速力のことだとは思っていないでしょうね?
ナゾの人
- くわしくは知りませんが、Hew Strachan,European Armies and Conduct of War,Routledge,1983,p160(一応その世界では評価の高い学術文献です) には、
マッチロック(火縄銃)は装填に44の動作が必要であり、フリントロックの場合は26動作が必要であった。発射速度は結果的に二倍になり、一分間に一発の割合で撃てるようになった。よく訓練された者は一分間に二発撃つことが可能であった。
鉄のサク状が用いられるにおよんで、装填は容易になり、発射速度はさらにあがり一分間に三発を撃つことが可能になった。
とあります。
celetaro