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第二次大戦で ドイツは何故レニングラードを攻略できなかったのでしょうか? もしくはなぜ本腰を入れて攻略をしようとしなかったのですが? カレイ |
カレイ
アリエフ
低いような感じがしますが、ありがとうございます。
カレイ
冬から春にかけては、何波にもわたる赤軍の反攻への対処・再反撃で忙しく、とてもレニングラート攻略にかかる余裕はありません。夏になって、ようやく余裕ができたので、セヴァストーポリを陥としたマンシュタインの第11軍を呼び寄せて、攻略作戦を計画しています。ところがまたもや赤軍の攻撃があり、その対処に夏じゅうかかってしまいます。
気がついたら秋で、その間に南方でちょっと困ったことがあったので、マンシュタインは去って行ってしまいました。
このように、ドイツ軍は常にレニングラート攻略を目指して努力していたのです。それでもレニングラートが陥ちなかったのは、赤軍も必死に反撃して、ついに攻撃を阻み通したからだと言えるでしょう。この間の赤軍の損害は、想像を絶する数にのぼっています。
41年の夏の段階でレニングラート攻略ができなかった理由は、「電撃戦と要塞都市攻略を同時に行うことはできない」ということに尽きるでしょう。電撃戦の基本は、「堅固な陣地は迂回する」ということです。迂回できない陣地は、歩兵が来るまで陥とせないのです。
大名死亡
アリエフ
確かに、陣地化された都市でも、奇襲モーメントを保持したまま突入して占領できた事例はあります。南方軍集団のロストフや、アフリカのトブルク(ガザラ後の追撃戦)などです。しかしその場合は、周囲の敵がことごとく敗走しているか、著しい士気阻喪状態である場合に限るように思われます。現に、ロンメルの第一次攻勢の時のトブルクや、マンシュタインの第一次セヴァストポリ攻撃では、相当勢いのついていた攻撃側が、都市守備隊に撃退されています。
翻ってレニングラートでは、周囲にまだ赤軍がうようよいる状況です。レニングラート軍管区の部隊は、兵力の余裕は少ないとはいえ、ほとんど前線の敗走の影響を受けていないでしょう。士気が低下しているとはいえ、ナルヴァやオラニエンバウムの大兵力も無視できません。ノヴゴロトにも敵の大兵力が残っています。
この状況下でも、レニングラート強行突入はやればできるかもしれません。そうなったら、赤軍は軍管区単位の士気崩壊を起こして、ごっそり壊滅してくれるかもしれません。キエフのようにそうなってくれれば、賭けは大成功です。しかし、もしそうならなかったら、第4装甲集団はレニングラートに包囲され、救出する戦力もなく、北翼は崩壊するでしょう。
これほどまでにリスキィな作戦を敢行できるのは、おそらくロンメルくらいなものでしょう。しかし、多少なりとも常識を重んじる司令官ならば、「突入したあと」のことを考えて、歩兵と第3装甲集団を待つでしょう。そしてそれが、史実の北方軍集団と第4装甲集団がとった策だったわけです。突入そのものの実現可能性よりも、そのあとのことの方が重要だったのでは、ということです。
大名死亡