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1938年にソ連と日本軍の間で起こった「張鼓峰事件」(何と読むのかも分かりません)について教えてください。「ノモンハン」に関しては幾多の本があるのに、こちらに関しては、ほとんどありません。よろしくお願いします。 海防艦22号 |
昭和13年7月12日ソ連.満州国境最南端部「張鼓峰山」に
ソ連軍が陣地を構築、それに対し日本軍は同地は満州国領であるとして
衝突、同年8月14日終結
畝傍
海防艦22号
ロシアでは「ハサン湖事件」というそうです。
クックスの「ノモンハン」に多少記述があったかと。(英語版の方には張鼓峰について詳しい解説をしている部分もあるそうなのですが)
ソ連軍は第39狙撃軍団の約3個師団(第40狙撃師団と第32狙撃師団、第2機械化旅団、および増強部隊)に対し、
日本軍は朝鮮軍所属(関東軍ではない)の第十九師団(尾高(すえたか)中将)のみ。
この地区では両軍が兵力を集結させて、7月半ばからにらみ合いが続いていたのですが、
7月29日に、張鼓峰上にソ連軍の新たな監視所を認めた日本軍は歩兵2個中隊を以ってこれを攻撃、しかし撃退される。
7月31日になり、十九師団は師団主力を以って、張鼓峰上の(日本側主張の)国境線に進出、8月2日〜3日にわたるソ連軍第40狙撃師団の攻撃をはね返します。
8月6日からの第39狙撃軍団主力を投入した攻勢も3日間にわたって耐えぬきますが、張鼓峰からは撃退され、逆襲も成功しません。
8月10日より停戦交渉に入ります。
8月11日に戦闘は停止。
8月14日に両軍とも撤退します。
地形的にソ連軍が機甲戦力を大規模に投入できなかったことと、戦線正面が狭かったのでソ連軍は迂回行動を取れず正面攻撃に頼るしかなかったことが、十九師団の奮戦を可能にしましたが、砲兵にはこっぴどく叩かれています。
兵力的に優勢なソ連軍と互角以上に戦ったということで師団長はほめられ、日本軍には大きな(しかし誤った)自信を持たせることになります。
ちなみに、このときの第十九師団の歩兵団長は後にインパール作戦で抗命騒ぎを起こして有名になる佐藤幸徳(当時少将)です。
まなかじ
海防艦22号