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僭越ながら、クルスク戦の前後について、要領のよい解説をたのめませんかのう。特に時期と場所、作戦名、推移を。全ソヴィエトの運命がかかっておりますので、よろしくおねがいいたします。 同志スターリン |
同志スターリン
こちらはあくまで「真面目に質問」し、「真面目に回答」する場です。
多少の逸脱許容するくらいの懐はありますけど。
勝井
で、その続き。
ハンガリー軍戦線を突破したソ連軍は勢いに任せて、西へ突進しました。2月にはクルスクまで到達します。もちろんハリコフも一時的に占領しました。
ところが、補給が切れてしまい部隊は立ち往生。
そこへ、ドイツ軍が南方から反撃をかけます。ソ連軍は次々と撃破、殲滅され、ハリコフはドイツ軍に奪還されてしまいます。
このとき、反攻を指揮していたのが、エーリヒ・マンシュタイン。
このままドイツ軍は北上し、ハリコフとクルスクの中程まで前進したところ(ベルゴロドの街)で、泥濘の季節となり、部隊の移動は止まります。
以上が第一ラウンドです
まさゆき
場所でいうと
レニングラード周辺、デミャンスク(ワルダイ高地)、ヴェルキェルキ。
ただし、ウラヌス作戦のような華々しい戦果はあげられませんでした。
また、ドイツ軍もスターリングラードで失った戦力の補充を迫られます。
そのため、ルジェフ(モスクワの150Kmくらい手前)で突出していた戦線を平らにし(撤退したわけです)、予備戦力をなんとか創り出します。
これが3月、泥濘の頃までの他戦区の状況です。
まさゆき