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492 僭越ながら、クルスク戦の前後について、要領のよい解説をたのめませんかのう。特に時期と場所、作戦名、推移を。全ソヴィエトの運命がかかっておりますので、よろしくおねがいいたします。
同志スターリン

  1. 申し送れましたが、けしからぬ同志フルシチョフがどうしていたかも、あわせておしえていただければ、戦後処理に役立ちますので、たのみますのう。
    同志スターリン

  2. 「人生相談」のノリをこちらに持ち込まぬよう。
    こちらはあくまで「真面目に質問」し、「真面目に回答」する場です。
    多少の逸脱許容するくらいの懐はありますけど。
    勝井

  3. 447にウラヌス作戦から土星作戦までの簡単な経緯の回答があります。
    で、その続き。
    ハンガリー軍戦線を突破したソ連軍は勢いに任せて、西へ突進しました。2月にはクルスクまで到達します。もちろんハリコフも一時的に占領しました。
    ところが、補給が切れてしまい部隊は立ち往生。
    そこへ、ドイツ軍が南方から反撃をかけます。ソ連軍は次々と撃破、殲滅され、ハリコフはドイツ軍に奪還されてしまいます。
    このとき、反攻を指揮していたのが、エーリヒ・マンシュタイン。
    このままドイツ軍は北上し、ハリコフとクルスクの中程まで前進したところ(ベルゴロドの街)で、泥濘の季節となり、部隊の移動は止まります。
     以上が第一ラウンドです
    まさゆき

  4. 実は、同じような時期、北方戦線でもソ連軍は攻勢に出たのです。
    場所でいうと
    レニングラード周辺、デミャンスク(ワルダイ高地)、ヴェルキェルキ。
    ただし、ウラヌス作戦のような華々しい戦果はあげられませんでした。
    また、ドイツ軍もスターリングラードで失った戦力の補充を迫られます。
    そのため、ルジェフ(モスクワの150Kmくらい手前)で突出していた戦線を平らにし(撤退したわけです)、予備戦力をなんとか創り出します。
    これが3月、泥濘の頃までの他戦区の状況です。
    まさゆき


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