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よく占守島の戦いで、日本の戦車がソ連の対戦車ライフルで大きな被害を受けたという記述(最近の出版物)を見受けますが本当でしょうか。第二次大戦初期にはソ連は防衛戦の局面に使用したと聞いたことがありますが、効果と取り扱いの問題で使用はされなくなったと聞きます。侵攻作戦でわざわざ装備してきたとも思えませんし、いかに装甲の薄い日本の戦車といえども、対戦車ライフルで撃破されるとは思えません。占守島に残る残骸の写真をみるかぎりにおいても、少なくとも対戦車砲のような爆発する兵器のようなもので破壊されたように見えるのですが。 よろしくお教え下さい。 てんらい |
ロシア軍のスタンダードな対戦車ライフルと言えば PTRD−1941です。仕様を紹介します。
http://yorkist.homestead.com/sat.html
http://www.38sun.org/gallery/crate_08.htm
他のHPでは、 40mm/100m, 30mm/500m の貫通力とも、解説してました。
後は、帝国陸軍戦車通の方々の考察,フォローをどうぞ!!
軌跡の発動機?誉
ドイツ軍戦車にとっても当たり所によっては厄介だったと、手元の資料にあります。
ちなみに、旧日本陸軍にも、1937(昭和13)年に採用された97式自動砲という口径20mmの対戦車ライフルがありました。海外製品に範を取った7連発のセミ・オートで、距離700mから30mm鋼板をギリギリ貫通できたそうです。が、最初の実戦投入となったノモンハン事件でまったく活躍できず、300門作られたところで昭和17年に製造中止となりました。とはいえ、対戦車兵器としてないよりはマシと言うことか、昭和18年に製造が再開され、さらに100門ほど作られて南方戦線に送られました。
ブラック・タロン
http://www.czhermex.cz/czech/PTRS.html
日本語解説は こっちかな!
http://member.nifty.ne.jp/chikuzen/gun/at_rifle/ptrs1941.htm
〜?誉
で、占守島でのことですが、池田戦車隊が突撃を敢行していますよね。この場合、乱戦になります。さらに、当時は霧が発生していました。対戦車ライフルが至近距離にある事に気付かなくてもおかしくない状況な訳です。ですから、撃破されてもおかしくありません。ついでに言うと、占守には100丁ほど送られてられていたそうです。
あと、出典の本が行方不明なのですが、新砲塔チハになって主砲弾を砲塔にも置くようになってから、主砲弾の誘爆が著しく多くなったとのデータがあります。戦車の残骸が吹っ飛んだ状態のものであることもこれで説明が付きます。
tomo
このHPに朝鮮戦争時にA36がPTRS41 14.5mm対戦車ライフルによって受けた弾痕の写真が掲載されてます。1inch厚の緩傾斜装甲をほぼ貫通しているように見えます。チハも同程度の装甲なので同様の被害を受けていると思われます。ただ「爆発する兵器のようなもので破壊された」ようには見えませんね。やはりtomo氏のおっしゃる様にこれによって誘爆を招いたのでしょうか。
jas1
例えばペリリュ−島で撃破されたハ号はバラバラに吹き飛んだ写真が多いですがこれは米軍戦車の徹甲弾では貫通出来ても必ずしも撃破できず、完全にストップする為に榴弾による射撃が指示されたためだそうです。
又対戦車ライフルは独ソ戦では主にクラッペ等の弱点射撃に使用されたようです。
個人的には占守島の車両で吹き飛んでいるものの大半は火炎瓶によるものではないかと思います。
カニ光線
tomo
しかし私も根拠が薄弱ですね、、、
カニ光線
tomo
といった使い方ではないのでしょうか?
それに戦車のラジエーターなどの弱い部分を狙って行動不能に追い込むという
使い方は、オットーカリウスの「ティーガー戦車隊」の中にも見て取れます。
ということはは、爆発したチハは運転手殺傷などで行動不能に陥ったところを
対戦車砲で始末されたとか、もしくは対戦車砲で直接破壊されたのだとおもいますが・・・
もちろん対戦車ライフルによる搭載弾の誘爆の可能性も否定できませんが・・・
それに火炎瓶の可能性はないのでは?チハよろしくその前の89式乙から
すでにディーゼルエンジン装備ですし、火炎瓶があまり威力をなさないことは
89式乙に対する実験で明らかになってるはずです。
P-kun
本棚の雑誌を整理していたら、ソ連軍も使っていたという記述がありました。マニュアルも作られていたそうです。
ただ、対戦者ライフルが普及する頃くらいから、対戦者ライフルか集束手榴弾に置き換わっていたそうです。
tomo