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本日三つ目の質問ですが宜しくお願いします。 清の西太后は北洋艦隊増強の費用を流用してい和園の改修をやって日清戦争の敗因を作ったことが悪行の代表的なものとなっていますが、このい和園を見てそのスケールに感嘆の余り 1.軍艦は10年もたてば旧式になり、50年もすればスクラップになるが庭ならずっと楽しめる。 2.日清戦争に勝っていても、どっちみち西太后が死ねば清はえん世凱に乗っ取られていた。 3.軍艦を造るより庭を造る方が文化的であることは間違いない。 等の理由で、結果論から言ってこの西太后の判断は正解ではなかったか、少なくともこうまでめちゃくちゃ言われることはないのではないかと感じています。他にもこんなことを考えてる人はいませんか。 SEI |
私もい和園に行ったことあるが、故宮同様、強大な専制・独裁権力でないと、このような巨大建造物はできないと思ったけどね。皇帝の旦那を無理やり押込め、巨大な池のど真ん中に船を漕ぎ出させて、お香を楽しむ毎日、そんな女帝に私もなりたいものだ・・
アリエフ
紅葉饅頭
頤和園の修復の評価については一筋縄ではいかない問題があります.というのも,西太后に限らず,清末の事件・人物に関しては,諸外国に対する中国の「主権」の護持が「正義」,それへの非協力が「悪」という価値判断がなされることが普通で,このような価値判断を認めるかどうかで評価自体が変わってしまうからです.
西太后の不人気の理由の一つが,艦隊建造費を食い潰して中国の軍事力を弱体化させ,半植民地化の原因を作った,とする評価にあることは事実です.中国の防衛や主権の護持に価値を置いた後世の歴史家にとって,彼女の行為が「売国」と映るのはある意味で当然のことでした.また,対外的な警戒感を募らせていた同時代の官僚や知識人にとっても,彼女の行為は許しがたいものと考えられたでしょう.(もっとも,女性が政局を壟断したという事実に対する儒教規範に基づいた反発が最大の理由だったのかもしれませんが)
しかし,最近の研究動向では,当時の政治家にとっての政治的課題は宮廷内の政治闘争にあり,軍事力の増強を含む対外政策は副次的な問題と考えられていた,とする見解が打ち出されるようになったと聞いています(アリエフさんのいう「彼らがおかれた状況を踏まえて検討すべき」という視角ですね).要するに,西太后は,李鴻章や袁世凱らの北洋軍閥と敵対関係にあり,彼らの勢力を削ぐためのねらいもあった,ということです.その限りにおいて,頤和園の造園を売国的と一概に決めつけることはできません(「愛国的」でもないでしょうが).
また,対外的にも,頤和園の前身は乾隆帝時代の離宮ですから,アロー号戦争の戦災の復興は,大清帝国再建の象徴としての意味も持っていたはずです(当時の清は従来朝貢国であった周辺諸国への示威行動を盛んに行っていました).
以上の見解はあまりに政治学的で,文化事業としての側面を軽視しすぎているともいえますが,西太后の判断が正しかったかどうかは,同時代的な国家戦略の枠組で論じるか,結果的に観光資源を遺したという事実を重視するかによって異なって当然です.SEIさんには,よい経験をなさいましたね,とだけ申し上げておきます.
にゃま
また、当時の王朝による大掛かりな土木事業は、失業者対策であったという意見もあります。しかし、社会システムが全然違うので、公共事業による有効需要の拡大がどの程度効果があるのかは、わかりません。
celetaro