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ここでいいのかな? 映画「パトリオット」で、アメリカ独立戦争が描かれていましたが、 あの当時の戦術について質問があります。 「パトリオット」で描写されていた戦闘シーンは、こんな感じでした。 軍楽隊の音楽にのって行軍したアメリカ、イギリス両軍が 何も遮蔽物の無い平原で対峙。(事前に両軍の間で 何処で対戦するか打ち合わせがあったのでしょうか?) アメリカ側の最前列が号令にあわせてマスケット銃を一斉射撃。 イギリス側の最前列の兵士達がバタバタと倒れていきます。 不思議なのは、最前列の兵士達は突っ立ったままで、伏せたり 隠れたりしないということです。怖くないのでしょうか? いや、怖いことは怖いのでしょうし、下手に逃げたら 将校に射殺されるのかもしれませんけど・・ そして、アメリカ側の一斉射撃が終わると、今度はイギリス側が 一斉射撃。同じようにアメリカ側の最前列の兵士達がバタバタと 倒れていきます。(もしかして、かわりばんこに、一斉射撃をするという 了解があるのでしょうか?) そして、お互い何回かこれを繰り返し、最後は騎兵隊や歩兵の 銃剣突撃になるようです。 こんな戦争をやっていたということが、理屈ではわかっても 中々信じられません。 当時の戦術はこのようなものだったのでしょうか? J・ロック |
「ワーテルロー」という映画を見たことがありますが、わりと見晴しのよい緩やかな丘陵地での歩兵の密集隊形による戦闘シーンが描かれています。銃を持った歩兵部隊同士が行進しつつ射撃を行うシーンとか、槍を持った密集隊形の部隊がぶつかりあう様子がありました。当時の銃だと、長射程からの狙撃を行ったり、物陰に待ち伏せして攻撃しすぐに退散するヒット・アンド・アウェイ戦法を取ることが難しかったのでは。
アリエフ
米国で、当時の戦闘を再現する行事の映像を見ても、映画と似たような状況のようですね。
交互にやるかどうかは別として、一斉射撃で相手をひるませ、最後は騎兵や歩兵の突撃に持ち込むという戦術だったような印象です。
当時の銃砲の性能では、敵に大打撃を与えることはできず。最後の突撃戦に備えて隣の戦友が倒れても、じっと我慢の子で密集隊形を維持するという戦術だったのでしょう。
又、先込め銃では、装填の時に伏せたままではやりにくいので、現代のように伏射で応戦するということもやりにくかったようです。
フリードリッヒ大王が「兵士をして敵よりも見方の将校を恐怖せしめよ。」という格言を吐いたという記憶がありますが、「じっと我慢の子」を維持させるためだったのだろうと考えています。
ただ民兵の米独立軍は、遠くから英軍を狙撃して逃げるという「卑怯」な戦術で英軍を悩ましたようなことが記憶のどっかにひっかかてます。(苦笑)
あとは碩学におまかせします。
SAW
密集隊形で我慢の子になる理由はわかりました。
「変わりばんこ」に関してですが、はたから見ると
そう見えるだけで、お互い了解があるわけでは無いようですね。
ただ、DVDで「パトリオット」のクライマックスの戦闘シーンを
観なおしたら、またわからなくなりました。
最初の最初にアメリカ側(民兵を中心にしています)
が射撃するのですが、その間、イギリス側は突っ立ったままです。
イギリス側も既に銃には弾は装填しているはずですから、さっさと
撃てばいいのに・・単なる映画的な演出かな?
それと、どう考えても最前列の兵士の死亡率は最後列とは比べ物に
ならないほど高いはずですよね。やっぱり順繰りで最前列担当は
交代していくのでしょうか?
J・ロック
密集縦隊が行進しつつ、最前列が一斉射撃した後、直ちに後ろに下がり次の段の部隊がすぐ射撃するという運動を、統制を取って行うことができたのだろうか。もちろん、同時代でも各国によって差があるし、ナポレオン以前でも、こうした複雑な運動を伴う戦術が考えられ訓練も行われていたのだろうが、アメリカ独立戦争の時、これを実践することができたのだろうか。
歩兵は地図もコンパスも支給されていなかったろうし、肉声か軍楽隊の太鼓の音くらいしか指示・命令を伝える手段がない。兵站も未発達かその概念が十分認識されていなかったので現地調達が頻繁に行われた。大軍ともなれば、かなりの食糧を保有する農場や農村に宿営しないと兵は飢えてしまう。だから、大会戦は見通しが利く牧場・農地のような所で多く行われたようです(ワーテルローもそのような所かな)。
アリエフ
アリエフ
(パッチで包んだ丸弾がライフルで回転する方式
と思う。)を使用するものが多く、スムースボア
の銃を使用する英軍よりは、遠距離から正確に射撃
できたようです。
一方スムースボアは、ライフルの2倍の早さで、装填
できるそうですが、自分の射程内に近づくまで、やっぱり
「我慢の子」だったということでしょうか。
米独立軍は、猟師出身者など、集団戦術は不得手でも、
射撃は得意な者が多いので、遮蔽物から遠距離狙撃
するなど、自軍に適した戦術を取ることも多かった
ようです。
いわば、「素人戦術」ですが、相手側の英軍や、
独立軍を応援した仏軍にも影響を与えたとの
ことです。
SAW
映画での表現はともかくとして、
米独立軍が、伝統的集団戦法を行う時は、
2列横隊だったそうです。
又、フリードリッヒ大王の軍隊では、
3列横隊で1列目が膝撃ち、2と3列目が
立ち撃ちで、どの部隊から一斉射撃する
か順番が決まっていたそうです。
すくなくても、プロ兵士である英軍は
一斉射撃をしながら、秩序だって前進できた
のではないでしょうか。
SAW
なかなか射撃しないのは、我が有効射程距離まで横隊を前進させるのが優先事項で、有効射程距離の境界で適当に停まって射撃を開始すると効率が悪い(タマは敵にほとんど命中せず、その頭上を飛び越していく、または地面にあたる)からと思われます。なお、当時の兵卒は馬並みの消耗品とみなされており、将校は損害をものともせず隊列を進めたということです。甚だしきは、スペイン戦線で彼我の隊長同士(貴族出身)、そうぞお先に射撃されよ、と優雅に数回譲り合いをしたと、ナポレオン従軍将校の手記にあります。隊列はおみこしのように緊密に組まないと、恐怖から壊走するおそれがあり、そのため横隊の後ろに下士が大勢で「押伍列」(監視)として控えており、これは逃走しようとする兵を斬ったり槍で刺殺するためです。
しかし有効射程距離内での横隊一斉射撃の威力はすさまじく、ちょうど機關銃が薙射をひとつ喰わせるくらいの損害を与えたようです。すくなくとも中隊150名の半数が射撃するのですから、70発程度の彈丸が何の遮蔽も無い暴露列に飛んできて瞬時に前列を薙ぎ倒すことになります。すかさず次の斉射を行い、各中隊協同で緊密な弾幕射撃を続けていけば、敵は耐え切れずに壊走を始めるということになります。これに耐えるのはよほどの精神力ないし厳正な軍規が保持されてないと難しいとされました。ところが予め待ち伏せて隊形を展開し、射撃準備体勢をとっていると、この恐ろしい横隊の接近を撃退することも可能であるようです。敵横隊が有効射程距離に到着して射撃を開始するまでに若干の余裕があり(中隊とまれ、前列膝撃ち用意、目標なになに、狙え、撃て、の号令だけで大分時間がかかる)、その間に当方から一斉射撃を先に開始すれば、うまくいくと敵は志気粗相して後退します。米軍は射撃の練達者が多く、また愛国心に燃えていたので、英軍の横隊が射撃有効範囲に近づこうとやってくる間に沈着な射撃を見舞って相當の損害を与えたようです。米軍将校はなかなか指揮に苦心したようで、有効打を増やすため「英軍兵士の目の白いところが見えるようになるまで撃ってはならん」と指導したということです。
あるめ
私は、昔の騎士同士の戦いや、日本の武士が
「やあやあ我こそは・・」とやっていたみたいな、ある種の儀式的な
ものが残っていたのかと思っていましたが、そうでは無く、
あくまで当時としては理詰めで考えられていた戦法だったのですね。
J・ロック
で,独立戦争時,アメリカの銃には,ライフルがあり275m先の人間に当てる事が出来たそうです.
U