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インドシナ戦争時代に南部にはベトナム国というのが存在し、 このとき元首を務めていたのはバオダイ帝と書かれていますが いつも元首としか書かれていないのですがバオダイ帝は大統領か 皇帝のどちらとして元首を務めていたのですか? モラノフスキー |
大統領ということはないでしょう。
帝位は1945年8月に退いていますから皇帝でもないでしょう。
満州における溥儀と同じように「肩書きだけの皇帝」だったというのが実情ではないでしょうか?
PT
バオダイは、このアンナングエン朝の第十三代皇帝として少年時代に即位しました。日本のベトナム進駐後もこの状態は続いていましたが、1945年春、在ベトナム日本軍はフランスに対するクーデタを決行し、バオダイはベトナム全土を領土とする「ベトナム帝国」の元首となります。45年8月バオダイは退位しホーチミンのベトミン政権の政治顧問に就任しますが、46年に国外退去します。
しかしその後第一次インドシナ戦争に苦しむフランスはバオダイを再び担ぎ出し、バオダイを国家元首(chief of state)とする 「ベトナム国」をつくります。1954年のジュネーブ協定でバオダイの「ベトナム国」は北緯17度線以南を統治することになりますが、翌55年、アメリカの支持を受けたゴディンジェム首相が国民投票でバオダイをたおし「ベトナム共和国」が成立します。
私の資料でも、「ベトナム国」については、いずれも「元首」、あるいはchief of state (英語資料、フランス語は読めない。すみません)となっていますので、皇帝でも大統領でもなく「元首」というのが正式の呼称なのでしょう。そういえば、おとなりカンボジアのシアヌーク国王も国王に就任する前はずっとシアヌーク元首でしたね。
ですから、バオダイは1945年までアンナン皇帝、45年の春から夏までアンナン皇帝にしてベトナム帝国元首、49年から55年までベトナム国元首と呼ぶべきでしょう。ほんとうはアンナン帝国消滅後もバオダイ「帝」と呼ばれていることがおかしいのかも知れませんが、バオダイ廃帝とも呼べないでしょうしね。
なおバオダイは1997年まで生きていました。
カンタニャック
本筋とは関係がなくて恐縮ですが,退位後のバオダイは単に「バオダイ」と呼ぶことが多いようです(ときには「元皇帝」などの冠がつきますが).確かに退位した元皇帝を元号で呼ぶのは変ですよね.溥儀のことを「宣統」とは呼びませんものね(満洲帝国ではどうだったか知らない).ちなみにバオダイの本名はグエン・ヴィン・トゥイといいます.
にゃま