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469 ナチス・ドイツは第二次大戦前にオーストリアを併合しましたが
そのときにオーストリアの軍や政府は抵抗しなかったのでしょうか?
ツェッペリン

  1. 併合当時、オーストリア・ナチ党が同国の実権を把握していたからです。ちなみに、ヒトラーはオーストリア出身です。ドイツのナチ党は、1923年、オーストリアに近い南部ドイツのミュンヘンでビヤホール・プッチを行っており(失敗に終わったが)、オーストリアにも彼の信奉者はかなり多かったのです。
    アリエフ

  2. アリエフさんのおっしゃる通り、オーストリア・ナチ党によるオーストリア政府が併合に合意したわけですが、その過程ではいろいろな消極的抵抗もありました。
    まず、ヒトラーがオーストリアを実質的に保護国化する協定の締結を求め、これに抵抗するオーストリア政府(まだナチ党政権ではない)は協定の賛否を問う国民投票をおこなおうとしましたが、国民投票実施直前に、ドイツ側は国民投票の中止と、オーストリア・ナチ党党首ザイス・インクワルトの首相就任を要求する事実上の最後通告を突きつけ、それまでの首相は辞任、ザイス・インクワルトが首相に就任するとその要請を受けたとして直ちにドイツ軍がウイーンに行軍、オーストリア併合を宣言という早業でした。
    カンタニャック

  3. 当時のオーストリア国民は必ずしもナチスを支持していたとは思えません。
    むしろ一次大戦後小国化してしまったオーストリアを独墺合併による新生ドイツとして生まれ変わりたかったのでしょう。
    JK

  4. ↑当時のドイツにしても、ナチスの思想に共鳴し積極的に支持していたわけではない国民がかなりいたと思いますが。ただ、プロパガンダで民族主義やドイツ統一、領土の奪還を訴えられると、それに面と向かって異議を唱えようとすることがやりにくかったからだろうけど。結局、多くの国民が積極的な支持で無いとしても、ナチスの台頭を容認または黙認していたことになる。
    アリエフ

  5. オーストリアは一次大戦後に共和制となりますが、かつての帝国の威光はなく、人口700万の自立も危ぶまれる山間の弱小国家となってしまいました。そこでオーストリアはドイツ(ワイマール共和国時)と合併する道を選び、国会でも独墺合併を決議、各地の人民投票でも圧倒的多数で賛意が表明されました。しかし戦勝国がこれによって強大なドイツの復活を恐れ反対した為実現しませんでした。オーストリアとしてはその時の想いを実現したかったというのが私の考えです。でなければナチ・ドイツとの合併の国民投票で、99.7%の賛成は得られなかったと思います。しかしアリエフ氏のご指摘の通りナチスを容認した側面もあります。
    JK


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