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旧ソ連の指導者は基本的に終身制だったのですか?旧ソ連の指導者7人のうち5人までが死ぬまで指導者の地位にありましたが。 ぱるぱる
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- 法律上はわかりませんが普通は死ぬまでやめないでしょう。だってそうでしょう。自分のハラ次第で人殺しだろうが自分の誕生日にタレント集めさせることだろうがなんでもできるのですよ。こんなおいしすぎる地位誰が他の人に譲ります?
alphabetta
- そのほかに、自分が指導者の地位を降りると後継者に殺される恐れがある、と言うのもあるのではないでしょうか?
N.W
- 公式には共産党内の手続や最高幹部会議会における選挙を経て共産党書記長が選出される方式になっていたが、実質的には共産党内部の密室的な権力闘争で決まってしまっていたわけです。だから、死ぬまで辞めないか、自分の息のかかった人間にその地位を譲り、自分は法王のような立場になって権力を奮いつづけるかでしょう。後者の方法を取る場合、自分の身内や親戚でないと完全に信用できにくいし、対立しそうな可能性のある人間を政府中枢から徹底的に取り除いておく必要がある。北朝鮮はこの方法を取ることができたが、ソ連で「王朝制」復活とも見られるような方式は取りにくかったのだろうと思います。
アリエフ
- ありがとうございます。要するに旧ソ連の指導者の権力は一言で言えば「やりたい放題」だったんですね。
ところでスターリンとフルシチョフの間の指導者をマレンコフとブルガーニンと考えていたのはスターリンとフルシチョフが「首相」で最高権力者だったからです。年表にも「1953年3月5日スターリン首相死去、後任マレンコフ」と書いてありましたし。ブルガーニンはフルシチョフのお飾りだったからまだしも、マレンコフは一時的とはいえ旧ソ連の最高権力者でした(その時のナンバーツーはベリヤだったような気が・・・・)。水爆保有を宣言したのもマレンコフです。マレンコフは1953年3月から9月までの「つなぎ」でしかなかったんですね?
ぱるぱる
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